人が本当に怒ると、タイトルのような状態になります。最初は怒ったり、相手にしたりもします。
でも、そのうちに何を言っても変わらないし、何にも気づかないでいると、じっと考えて、「本当に嫌な人を相手する義務なんか無い」と考えるに至ります。そういう時間をいちいち割く*1には、人生の自分の時間は短すぎます。
多分、相手をしている時は、まだ若干の義務感なり、相手への期待もあるのだと思います。
それが、相手に接した時に、相手が変化しない状態だと、「特に変わらないなら、私が我慢し続ける事も無いか。この人が自分勝手に行動しているように、私も、私の望む事を実行に移して良いよね。」と考えるようになります。「じゃ、意見や感情を表すと、相手が無遠慮に土足で踏み荒らしてくるし、相手にしていると勘違いするみたいだから、もう無視しよう。」となります。
本当は、そういう事態を、相手してくれている間に気づくべきだとは思うけど、気づかないからこそ、行動を修正して相手の心を思いやろうとする行為自体が無いからこそ、そういう事態に進行してしまう。
友人、恋人関係は、まだ元々が他人関係だから、結構考えると思うけど、血縁関係や、元々が他人でも、結婚とかだと、なかなか考えないので、親せきや親子などで、相手から絶縁されるのは、相手がそういう感情に至る場合への考察が無いからなんでしょうね。
でも、例え親子でも、結局のところ、子供は両親の遺伝子や、習慣は受け継いでいるとはいえ、遺伝子の方は双方が混ざった内容を受け継いでいて*2、習慣の方も全部を受け継いでいる訳ではない*3。
だから、実は実子であろうと、必ずしも親の心情を反映しない。あまりに、相手の事を理解しないでいると、例え実子であろうと、「私はあなたの所属物ではありません。私は別の人格ですよ。」というような感情に襲われたり、相手に自分の大きな違和感を説明しきれずに黙り、冒頭の状態に立ち至る事になると思います。実際に、その例も知ってます。
だから、常に相手の行動や、どう考えているか、に気を配る必要があると思うんだけど、まあ、それをしない人は、一定数いて、冒頭の状態になってしまうんですよね。