今日のエントリーのタイトルにしたフレーズが、とても印象に残ったし、大切なことだから、今日はこれを取り上げます。
『人工と自然、奇形発生とそのリスク。菊池誠先生のポスト等を見ながら勝手に呟いたメモまとめ。 - Togetter』より。
人間の身体には、奇形とまで言えない小さな奇形が大抵あって、それは「破格(ヴァリアント)」と呼ばれ、どんな破格がどのくらい多いとかいう解剖学的な調査もある。筋も血管も神経も骨も全部に破格はある。誰も完成形なんかじゃない。みんな少しずつ規格の違うパーツを持って生きている。
http://togetter.com/li/214733
ここの考えが、とても重要だと思った。
人間、生まれたとき、自分が「普通に生まれている」って思い込みがちなんじゃないか?
リンク先にも書いたけど、私には身体的特徴として、身体障害にいたらないが、ちょっとした外見的身体特異?みたいなのがある。
私は外部に見える形で存在しているけど、内臓的な破格だったら、人はなかなか気づかない。
そうなんですよね。こういう構造、なかなか、理解されませんよね。(ちなみに、私にも身体的問題にいたらない、先天的「破格(ヴァリアント)」はあります。生まれながらの、ちょっとした不思議な形をしたもの。
−−−みんな、気づかないだけで、自分の体のどこかにあるんだよね。(内臓とかだったら、気づかないし。))
http://togetter.com/li/214733
身近な病気に関する話で言うと、例えば、2型糖尿病になる患者*1の中の、ある一定の割合は、すい臓のインスリン生成能力が低い。これは、親の遺伝で、ある程度影響が出ることが、医学的に知られている。
血液検査で、自己のインスリン生成能力ってのを調べられるんだけど、ごく普通の痩せ型体系で、ごく普通の食生活をしていても、この生成能力が低い人が一般的にいる。
...というより、日本人に巨漢体型が少ないのは、日本人はその傾向が強くて、太れない*2んだけど...。
また、胎児は母親の子宮にいるときに、心臓の壁に穴が開いているのは、前のエントリー『確証バイアスが生む、フクシマ・ハートの幻想(それは差別の源泉にもなる) - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック』で書いた。
それで、実は普通に生活していても、小さな穴が開いている人はいて、中年になってから、実は...という話はある。...それほどまでに、一般的なのだ。
例えば、下記を読んでみてほしい。『http://www.jhf.or.jp/q&adb/db4/2/1315s.html』より。
心房中隔欠損は千人に一人ぐらいの割合で生まれます。大分部分の方は何もしないでほっておいても大人になれます。
特に、本当に数ミリ以下の大きさであれば、期待余命まで充分生きられます。ある程度の重さ、2センチ以上あっても、病気を持ちながら、70才以上の人も決して稀でありません。心房中隔欠損である程度の重さがあり自覚症状が出るのは、肺高血圧や他の合併症がないと、大体30才〜40才代になってからです。
http://www.jhf.or.jp/q&adb/db4/2/1315s.html
妙な奇形話に惑わされている人って、人には気づかないけど、総ての人に生まれながらの細かな差異がある、という事実を知らないんじゃないかと思った。
『いわゆる一般的な障害者*3と呼ばれる人は、それが顕著であったり、生活の質に大きな影響を及ぼす場合に、そう呼称され、その対策を行っている。』という事に気づいていないんじゃないかと思った。
実際、医療者だったら、人の体には細かな破格、奇妙な差異、ちょっと不思議な感じになっている体器官の形状に、ごく普通に接しているはずだ。
私は医療者ではないので、目撃したことはないが、献体の解剖実習なんかだと、そういう例、色々あるよね...。
人はそれぞれ各自が色々な「破格(ヴァリアント)」を持つのが一般的。
...いわゆる、完成形な人間なんて、どこにもいない。
関連リンク
『人工と自然、奇形発生とそのリスク。菊池誠先生のポスト等を見ながら勝手に呟いたメモまとめ。 - Togetter』『確証バイアスが生む、フクシマ・ハートの幻想(それは差別の源泉にもなる) - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック』
『http://www.jhf.or.jp/q&adb/db4/2/1315s.html』