『http://www8.cao.go.jp/hanzai/whitepaper/w-2009/html/zenbun/part2/s2_6_7c9.html』を全文読んでいただくと分かるのだが、無論、いわゆるひき逃げ事件、つまり事故で亡くなっているので、殺人事件となる。
事件の証拠を細かく調べた訳ではないし、既に無期懲役が確定した事件であるので、細かく検察証拠を検討はしない。しかし、この文章は単純に被害者視点でしかない、という事は気に留めておこう。
...もちろん、私は犯行側の肩を持つ事は基本的にはしない。しかし、明らかにこの手記の彼女は明確な憎悪を犯人に対して持っている。
これは、取りも直さず、犯人が被害者にした行為から来るものではあるが、彼女は裁判で、自己のこの感情を表現する手段を持った、と手記にある。...これは、ある意味、危険な行動だ。
最初に意見陳述をさせてくださいとお願いしていましたが、証人尋問の方が証拠として採用されるからと言われて、意見陳述と証人尋問の両方をさせていただきました。意見陳述は母とわたしの二人でした。
持ち込む遺影を、裁判所の指示するサイズにしたがってパソコンで作り直したり、意見陳述書の内容を、わたしは泣きながら作りました。
http://www8.cao.go.jp/hanzai/whitepaper/w-2009/html/zenbun/part2/s2_6_7c9.html
実際、私は「犯行側の肩を持つ事は基本的にはしない。」と書いたが、本当に現実に起きた事件がそうだったのか。...その点が、この手記だけを読んだだけでは、観察眼として、目が曇らされた状態となる。
被害者遺族が、加害者の行為を冷静に判定するのは、多分できない。また、その状態で、司法の場に、その感情をぶちまけた場合、被害者に対する「可哀そう」という感情が、あまりに強すぎて、現実の事件を冷静に判定する姿勢が阻害されたりはしないか?
...その点、感情が整理されない遺族が、裁判の場に及ぼす内容は未知数で、そこの点は、かなり慎重になるべきであり、その点で言うのであれば、私には、少し基準線をはみ出している印象を持ってしまった。
高等裁判所では被告側弁護士が弁論を行い、兄が車の前に立たなかったらこの事件はなかったなどと言われました。
http://www8.cao.go.jp/hanzai/whitepaper/w-2009/html/zenbun/part2/s2_6_7c9.html
これは、被害者遺族の加害者に対する感情、という別の面から、手記を読んだ感想だ。
...この犯人は、無期懲役であったが、これが死刑だったら、また、証拠未確定で、冤罪の要素がある事件だったら、どうなっていたか、いろいろな条件を付け加えてみると、多様な考察が可能な手記だと思う。
さて、最後に。以前も取り上げた「袴田巌氏」の近況も載っている、ブログ『「裁判員裁判の死刑判決」の連続に緊急提言 - 保坂展人のどこどこ日記』を取り上げる。
私は44年前の事件で冤罪を訴えてきた死刑囚、袴田巌氏に面会したが、彼は司法に希望を託することが出来なくなり、弁護士とも肉親とも誰とも会わなくなっていました。法務省を通して交渉して会った袴田氏は「もうハカマダはいない。私が飲み込んだ。私は全能の神だ」と妄想の世界から一歩も出てこれませんでした。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/a960dc597145eae1f14816d9436291b4
...彼は、既にこうなってしまっているのだ。
いろいろと本日は、重たい話を書いたが、現実の世界では、明確に善悪を一刀両断する状態と言うのは、あまりないと思っている。...実際に身の上に起きた出来事でも、見る立場、考える立場が違えば、いろいろな見方が出来るはずなのだ。
安易に事物を単純化するだけでは見えてこないもの、そういったものが実はあるのだと言う事を、ここに申し添えておきたい。
関連リンク
『「裁判員裁判の死刑判決」の連続に緊急提言 - 保坂展人のどこどこ日記』
『袴田事件 - Wikipedia』
『袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会』
『『裁判官の良心』 袴田事件 えん罪 ~熊本典道 Blog~』