例えば、母体保護法が形骸化?出生前診断巡る判決に衝撃 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞) という記事。宋美玄さんは、医療の面では専門的な知識から、良き記事を書かれているが、こと法律に関しては事実誤認をしていると見られます*1。
記事にはこうあります。
判決文を読んだ人に聞いてみると、「ミスがなければ原告が人工妊娠中絶を選択し子どもが出生しなかったと評価することはできない」としながらも「羊水検査の結果を正確に知っていれば、中絶を選択するか病気の子どもが生まれることに対して心の準備などができたはずだが、その機会を奪われた」ため慰謝料の支払いが認められており、母体保護法とは裏腹に現実的に日本では胎児の病気による中絶が行われている社会背景が判決に影響しているのが分かります。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=99909
判決文を引用してみましょう。該当部分の記載はこうです。
(1)羊水検査結果の誤報告とδの出生との間の相当因果関係の有無について
ア 前提事実に加え,証拠(甲B15,B18からB21まで,B26,B27,B34,B35)によれば,羊水検査は,胎児の染色体異常の有無等を確定的に判断することを目的として行われるものであり,その検査結果が判明する時点で人工妊娠中絶が可能となる時期に実施され,また,羊水検査の結果,胎児に染色体異常があると判断された場合には,母体保護法所定の人工妊娠中絶許容要件を弾力的に解釈することなどにより,少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があることが認められる。
しかし,羊水検査の結果から胎児がダウン症である可能性が高いことが判明した場合に人工妊娠中絶を行うか,あるいは人工妊娠中絶をせずに同児を出産するかの判断が,親となるべき者の社会的・経済的環境,家族の状況,家族計画等の諸般の事情を前提としつつも,倫理的道徳的煩悶を伴う極めて困難な決断であることは,事柄の性質上明らかというべきである。すなわち,この問題は,極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであって,傾向等による検討にはなじまないといえる。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/256/084256_hanrei.pdf
そうすると,少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があるとしても,このことから当然に,羊水検査結果の誤報告とδの出生との間の相当因果関係の存在を肯定することはできない。
前提を「しかし」で受けていますし、「この問題は,極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであって,傾向等による検討にはなじまないといえる。」という言葉で、論理的な繋がりを断ち切っています。「少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があるとしても,このことから当然に,羊水検査結果の誤報告とδの出生との間の相当因果関係の存在を肯定することはできない。」に至っては、この文章の通りです。
これは社会的な傾向さえ、この判決には影響させるべきではない、と明言していると言えます。
判決文を読んだ人と伝聞を使わずに、判決文そのものを読んでいただきたかったですね*2。
その時点では判決文は公開されていなかったのかもしれませんが、現在では公開され、判例時報 N0.2227 の判例雑誌でも読むことが出来ます。私も最初は判例時報で内容を知り、裁判所での判決文公開を確認して、昨日の記事を書いています。
実は従前の類似訴訟での判決文も、基本的な争点への言及は同じようなものでした。
東京地裁昭和54年9月18日判決*3でも、判決文では誤診部分の請求も認めてはいるのですが、やはり、優勢保護法からの見地から、人工中絶を選択するという選択じたいを、司法として行えない、としています。つまり、人工中絶の選択を認めてはいません。
結局のところ、今までの判決も、そして今年の判決も、同様に優生保護法の内容を毀損するものではなく、優生保護法も依然として固守されている、という事になります。その意味では、今回の判決も、「今までの判決の内容から何ら外れるところが無かった」と言えると思うのです。
実際の判決が出ますと、安直に判決文の印象を語って、実際の法解釈とか、判決文での相当因果としての繋がりを無視しての論議が進む気がしています。実際の判決文に立ち戻り、それが意味する処をちゃんと捉えて、医療的な提言を行っていただきたいと思います。
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