luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

客観的な分析を、人属性の分析と勘違いする。

先日の高齢者の管理職の言動を分析して、もう少し気がついた内容があったのですが、どうも、この方、「自分の都合の良い結論に達しない論理」=「正しくない論理」、「自分の都合の良い結論に達する論理(自分が説教に専念できる論理)」=「正しい論理」と考えているようで、自分に都合の悪い論理は、総て「屁理屈」としてしまうようですね。
論理というのは、自分の感情や、人に属する内容ではなく、分析の過程で出てくる内容に過ぎない、という視点が欠けているようで。
だから、一生懸命、自分に都合の悪い論理を「屁理屈」にして、なかったものにしようとする。
こっちの考えている論理は、別に、自分に都合が悪かろうが、良かろうが、出た内容から、自分の行動を再評価するだけのことだから(間違った論理は再評価した内容で、結論を変更すればよい)、最終的に正しい結果が出るように考えるのだが、彼のは、自分の結論のために、論理を歪めて評価するから、いつまで経っても正しい論理が構築できない。
(そういう意味では、確かに、彼の論理は「屁理屈」だ。でも、それは「彼の世界の話」であって、別に「こちらの世界の話」ではないが...。)
関連事項:「根本的帰属性の誤り」(参考書籍、76頁参照)
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