luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

自己活動の社会性喪失に、左右の区別などない。

恐怖心、嫌悪感が自制心、人権意識を凌駕する? 反ワクチンと反原発に見える感情。 - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック の続きです。自己感情により、相手への人権意識を忘れ、自制を失った個人、または組織の話ですね。
社会への自己の参加という側面を持つ以上、その行動に社会的な肯定を促す、という考察は無視できません。その活動を肯定してもらうためには、その行動へ理解を求める必要があります。
それ故に、例え問題が発生している存在であっても、その相手への行動には社会的責任を伴う訳で、その行動に相手への人権配慮が無かったり、自己行動の遵法性に疑問が付くようでは、理解を求められず、その活動自体に存在意義が認められなくなるわけです。
ところで、こういうような話をすると、その集団の属性について、奇妙な補足をし出す人が現れます。
曰く、それは特定思想の傾向を持つ集団に現れる傾向である、と。でも、これはおかしな話で、過去に見た、どんな反社会的な活動も、右左の区別なく存在していて、特に傾向が表れる、という訳では無かったです。問題の内容によって、それなりに濃淡は現れますが、別に片方だけに存在している訳ではない。
それが証拠に、警察や、公安なども、取り締まりに左右の区別をつけている訳ではないです。報道される内容も、極左、極右、どちらもありますからね。


この問題について、左右偏った集団の傾向と考えたがる人たちは、多分、存在すると言いたがらない片方の傾向の集団に好意的で、それを認めたがらないのではないか、と思います。
先日も、特定のデマが、特定思想の集団に存在する、みたいな主張をしていた纏めがありましたが、あれなんかも、主張者がその特定思想を嫌っているせいで、その状況が見えなくなっているのだと思いました。
相手の日常の思想の傾向を知る、良いリトマス紙ですね。