luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

「相手を信じる事が大切」は何故、間違って使われるか。...そして、使うべき場面は何処か。

一緒に暮らすための判断の時に、「相手を信じる事が大切」と、間違えるなかれ。 - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック の続き。
相手と一緒になる時に「相手を信じる事が大切」なんて事、言われないし、考えないよ、と言う意見も貰ったのですが、では、こういう場面はありませんか。


相手と一緒になりそうな雰囲気の人、一緒になるかどうかを迷ってる。
親しい人との会話の中、相手が言う。   「相手を信じる事が大切だよ」


使われる場面も大抵想像がつくし、使われる理由も分かってる。本人の心に浮かんだ、疑惑を消すためだよね。
でも、「相手を信じる事が大切」なのは、「本人の無用の心配を消すために必要」なのであって、「必要な判断を止める」のは、行ってはいけない行為だ。
こういう時に、何故か誤ってしまうのは、「心構え」や、誤った信念を、疑念を打ち消すための言葉が、あたかも、それをするのが唯一の正しい規範、みたいに使われてしまうから。
相手と一緒になるのが、当たり前、みたいな思考からは、思考停止の行動指針しか示されないし、判断の多様な視点は思考の範疇の外にある。そうした思想からは、不安要素が今後に顕在化するのか、不顕在化に進むのか、の考察は生まれないし、現実的な行動の示唆もされない。


「相手を信じる事が大切」が必要となる要素を、もう一度言うね。
「相手を信じる事が大切」なのは、自分に生じた無根拠の猜疑心に対して。
でも、相手に根拠ある懸念が生じているのであれば、その言葉は脇に退けて、ちゃんと現実を直視しよう。


現実から目を背け、盲目で進む道を歩みたいなら、特に私からかける言葉は無い。けど、自分が歩む現実世界について、現実的に考察する事は、どんなときにも有用だと、私は思う。