luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

自分の気持ち? 認知エラー? 案外「人間この信じやすきもの」の罠に陥っているだけかも。

ここの処、ずっと憂鬱の気持ちに囚われていて、なかなか思考が前向きにならないでいました。
きっかけは突然の、とある人とのお別れ*1 *2、だった訳ですが、普段、深いお付き合いをしている訳でもなく、特に相互の連絡も頻繁だったわけではないので、深い憂鬱の原因が、どうにも分からないでいました。
ただ、一つ気がついたことがあります。
それは、その状態に対して、具体的な行動に出ている時には、また、それについて会話が成立していた時には、哀しいというより、案外楽しかった*3。また、この悲しみの原因の一つに、色々な情報が欠損している、何か事情が物凄く分からなくて不明な状態が関係している、という事です。
特に後者は、自分自身がご本人の実際のプライバシーの事情から、あまり大きく関係してもまずいので、非常に自制すべき、という事情がありました。故に、情報が不足して、私自身が霧の中に置かれたような、情報不足の状態になっても、それは看過すべき、という状態だったのですね。
この状態について、じっくりと考えて、最近、私は一つの結論を出しつつあります。
確かに、別れは哀しい事ですが、この深い憂鬱はそれだけから発生しているものでは無い。認知に対する情報不足が色々な「間違った認知像」を呼び起こしてしまい、必要以上に「何か哀しい事が起こるのではないか」という恐怖を呼び出してしまっているのではないか。
つまりは、認知エラーが、別れの悲しみを倍増させてしまっているのではないか。
そう思うのです。それが正しいと思えるのは、基本的に仕方がないと思える部分ではあるのですが、やはり、この事態に対して、投げ込んだ疑問文に、返ってくる答えが異常に少ない、という状況があります。
であるのであれば、やはり、この悲しみのどの位の割合かは分かりませんが、その一部は認知エラーが発生させてしまっているという事。「何もないところに何かを見る ――ランダムデータの誤解釈」「わずかなことからすべてを決める ――不完全で偏りのあるデータの誤解釈」みたいな事*4が起きているのではないのでしょうか。


...まあ、とはいえ、その中心には、それぞれの人間が存在する訳で、最低限の情報交流くらいはあっても良いとは思いますが、まあ、それは相手の意思次第ですし...。

*1:事情を知っている人が居るかもしれませんが、その事情を知っていても、多分、私の気持ちが発生した、原因の経緯までは知らないと思うので、あまり、知ったかぶりはしない方が良いと思いますよ。

*2:なお、この件、ネット上に告知は出ていないので、私から何かお知らせする事はありません。それこそ、プライベートな話題だし。ご本人から告知あるまでは。

*3:勿論、互いに交流があり、会話があるのが楽しいのは自分の性分なので、それは当たり前と言えば当たり前なのですが、その気持ちと、そこから少し離れただけで発生する、物凄く深い悲しみ、の原因が、どうにも不明だった。

*4:引用は 人間この信じやすきもの より。