luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

相手が自分に都合を合わせて当たり前、みたいな考え方が、反感を呼ばない筈がない。

過去に、多くの権力者、有力者が、実勢的には小さな力を持つ相手の集団によって倒される例は、革命と言う形でも、地味な反抗と言う形でも、歴史上の事実として存在し続けている。
倒される例は、無論、偶然にも小さな力を持つ側が好機のタイミングを得てしまった、という例もあるが、多くは力を持つ側の誤認、自らの力の過信だろう。
相手の小さな力の集積を過小評価して、その実像が観測より大きく、対策の制圧に抗して、力を持つ側を打ったならば、時に小さな力は、大きな力と思われたものを倒してしまう。
相手に、そういった力の過信を見る典型的な例として思うのは、相手が自分の都合の良い意見を鵜呑みにしたり、相手が自分の都合に合わせるのが当たり前、みたいな相手の感情に無神経な行動が、相手の行動に見られるとき。
相手が自分に都合を合わせて当たり前、みたいな考え方が、反感を呼ばない筈がない。
その点に気づかない態度や、思考は、その場での相手の反抗行動は呼ばなくても、積もり積もった不満は、いつか機会をとらえた反抗行動として表れる。
過信が無ければ、その行動衝動を観測する努力を怠らない。が、過信によって、感覚を鈍化させた人間は、それを忘れる。
例えば、相手の返事も待たずに、相手の行動を決めてかかって、自らの行動方針を決めてしまえば、相手の反感感情を呼ばない訳はないが、そんな強圧的、脅迫的な態度を強くしている人間の中には、それを改めない人間も存在する。
そんな人間が、相手の反抗にあって、時にその地位を追われても、私はまったく同情しない。相手の心を踏みにじっている人に、同情すべき根拠を見いだせない。