luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

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感情論で感覚のマヒしがちな人間社会の対策として、刑法の各種仕組みがある。

いやあ皆さん、感情的に吹き上がっていませんかね。
関連まとめは色々あるが、一番適切だと思われる cotance(コンプレックスの塊)さん ‏kotadonの「今回の件で多くの弁護士のスタンスとしては、どういう判決理由なのか読まないでとやかく言うことはできないというところです。」 - Togetter を示しておきます。ここで言われているのは、判決文を見ないと何とも言えないし、その段階で裁判所や色んな部分を批判しても、徒労に終わるばかりか、害悪になる、って事です。
まとめでも触れられていますが、強姦で、推定有罪の原則を取ると恐ろしい事が起きます。性交自体は日常的に成立している行為なので、その後に、女性が「あれは合意では無かった」と言い出したら、どんな事が起きると思いますか。
女性の側の主張を基に、刑事裁判が起こし放題、みたいな事が起き得ます。
実際には起訴の際の、他人への情報公開を巡って躊躇が起こるでしょう*1し、警察もあまり変な態度があると、被害者自身も疑惑心を持つようになります*2ので、さすがに濫訴の状態にはならないでしょうけど。
まとめでも触れられていますが、そういう状態を根拠に脅迫行為も可能になってしまいますよ。

被害があったことは事実であっても、恐怖心から被害を誇張して話すことだってありますし、また、怨恨から、交際当時こういうことがあったと虚偽の被害を申告する人だっています。

http://togetter.com/li/721957

無罪推定ないと、被害があったと主張してお金を稼ぐ人も出てくることになりますね。これが進んだ社会でしょうか?

http://togetter.com/li/721957


また、内心の状態の証明は、非常に困難なため、実勢上、事実関係で合意を証明しなければならない以上、その後で食事をした、とか等の行動の成立を以って判断する以上の事が、とても困難です。
故に、私も被害者女性の主張のみを以って判断するのは慎重になった方が、とは言ってますが、それ以外の弁証を刑事裁判で行うのはかなり困難だと推測されます。


ここで刑法の基本原則に立ち戻ると、「刑法の断片性の原則」というものがあります。刑法が総ての行為を網羅的に取り締まるのではなく、重要な部分のみに対応するという原則です。刑法の謙抑性の一側面です。
刑法は強力な法律ですが、それ故に「取り逃し」が起きるように作られているのです。
勿論、強姦罪が重要ではないのか、と言う方もおられるかもしれませんが、そういう事ではなく、強力過ぎる武器をふるい過ぎないような安全弁みたいなものです。
人は総ての犯罪が制圧され、一つの犯罪が無い世界を夢想します。私も、時に想像しますが、実際の社会はもう少し雑多で時に不条理なものであり、そこまでの状態には出来ないのではないか、と考えます。


人は感情的な動物であり、時に自らの身勝手さを抑えきれずに、制度を攻撃したがりますが、刑法等の法制度はそういう人間の身勝手さを抑える、という側面にも考慮して構築されているのであり、そういう意味では刑法等は絶妙のバランスだと思いますよ。
刑法の基本原則、罪刑法定主義推定無罪などを変えたい人は、それが変わった時に、多様な条件で考察して、その状態が、わが身に考察外だったどんな害悪を生むのか、よく考えてみてください。


最後に、まとめでも紹介した過去の不思議な事例を紹介しておきます。落合弁護士が過去の経験を語っています。
強姦事件:不起訴の男性が国に勝訴 東京地裁 より。

夜間、ベランダから侵入してきた見ず知らずの男に、被害者の女性が強姦されたという事件があり、そこまでであればごく普通の強姦事件ですが、2人は、その後、繰り返し会ってセックスもする関係になっていて、何らかの事情があって、その後、告訴があり、最初の「ベランダから侵入」が立件されていました。被疑者も、それが強姦であることは特に争っておらず、深夜、見ず知らずの男が侵入してきて和姦ということはないだろう、ということで起訴し、公判でも争われず有罪になりましたが、今考えても腑に落ちないところのある、不思議な事件でした。この種の性犯罪(かどうかが問題になる案件、と言ったほうが正確でしょう)には、通常の経験則では推し量れないような、真相をつかみにくいところがあるような気がします。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20091007#1254845860

*1:強姦罪親告罪であることを考えると。

*2:痴漢事件の不起訴などで、そういう内容に警察幹部が触れた報道はある。