luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

自分の偏見をチェックする。自分の心に真摯に向き合うのは、覚悟が必要。

タイトルの通りに覚悟が必要なのは「内集団バイアス」があるからです。
【内集団バイアス】一級市民と二級市民~差別の実験 より。

内集団バイアスとは、自分が帰属している集団には好意的な態度をとり、外の集団には差別的な態度をとる心理現象のこと。「内集団ひいき」とも呼ばれる。

http://ronri2.web.fc2.com/shinri02.html

http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/nepotism.html より。

もとより人間は自分をほめるときに「〜〜ではないから良い」という恣意的な区別・基準を使いがち。自分をほめるために、誰かを何かを自分より劣るものだとしておとしめる、そういうほめ方を人間はやってしまう。

http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/nepotism.html

例えば、自分が好意的に見ている人間が、一つの誤りをするのは許容するのに、自分が嫌いな人間の同様な誤りを許容できないのは何故だろう?
それは、自分が属している集団こそが正解を出すものと考えている故に、その誤りを認知したくないからです。
故に、自分が属している集団の誤りを、何かしらの理由から意識の外に追いやり始めた事実があるのであれば、その人間は不誠実であり、身内に甘く、依怙贔屓をし、外に辛く当たる偽善者という事になる。
無論、時に人間はその愚かな状態に陥るが、それに意識的になり、それを正そうとする意識さえあれば、時に自分にそういう傾向が生じたとしても、自己の行動を修正し、誠実であり続ける事が出来る。そこでは、集団内の規律も清潔に保たれる。
ただ、哀しい事に、人は自己が非常に優位な立場に居続けると、反省の態度を失ってしまう。「絶対的な権力者は必ず腐敗する」と言われる所以である。それに自覚的な人は、自分に自己制約を課していたりする。それは、多分、自らが腐敗しやすい事項に自覚的であるからであろう。
先日も、自分の嫌いな人間の誤りを、口汚くののしる一方で、似た内容の身内の誤りは「まるで存在しなかったように」申し述べる情景を目にした。
他山の石とし、そのような醜悪な姿をさらさないよう、身内も、そして身内以外も、同じ基準を以って判断することを続けていきたい。
そうしないと、心ある人の警告さえ、自己の醜悪な言説で黙らせる事になりかねない。誠実であろうと行動した結果を、恣意的に論じられるのであれば、人はその人への心ある言葉を閉ざすであろうから。