luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

失敗防止策に潜む、ゼロリスク論と他者責任転嫁の心理。

Yosyan さんのツイートから。

Yosyan ‏@Yosyan2

罰による抑制効果は「その行為をしないこと」であり「その失敗を起こさない」ではありません。確率的に起こる失敗を罰で締め上げても失敗が無くなるのでなく、その行為自体をやる人間がいなくなる事です。

https://twitter.com/Yosyan2/status/470527351537684480

Yosyan ‏@Yosyan2

たしかに不注意から起こる失敗は多い。しかし100%の注意力を常に求めても相手は人間である。事故対策とは不注意が起こってもどこかでそれを見つけるシステムを作る事。事故対策が「不注意を無くそう」であれば何もやっていないのと同じ。

https://twitter.com/Yosyan2/status/470530950791958528

Yosyan ‏@Yosyan2

「気の緩み」「慣れ」「思い込み」からの失敗は啓蒙で減らすことは可能だがゼロには出来ない事を知るべきだと思う。「あってはならない」で総括する事は非常に危険です。

https://twitter.com/Yosyan2/status/470535122999988224

問題が起きた時、失敗が起きた際に、行為者を責めて溜飲を下げたり、激しく叱責して行動を改めさせたり、みたいな思考が目立つ。いったい、その思想で問題発生が改められたことがあったのだろうか...。
まあ、確かに、一時的に相手を締め上げれば、相手は注意深くなる。しかし、恐怖に裏打ちされた、その行為は必然的に行動の定型化を生み、そもそもの行動内容の意味を問い直すことを忘れる。行動のチェック手順は無駄に長くなり、行為者本人の恐れや、手順の複雑化もあって、潜在的な失敗の選択肢は増える。
そもそも論だが、厳罰主義でケアレスミス自体をなくすことは出来ないとされている。それでも、品質の良い商品サービスがあるのは、その品質をフォローしあう、つまりは相手を手堅く支え、サポートする仕組みを作り上げているからである。
前近代的な思想の人、一昔前の根性論の体育教師*1みたいな人が、職場や、色々な場所で怒鳴り散らしていた、大昔の時代ならともかく、今はスマートに、理性的に解決方法を思索するのが妥当だと思われる。
人の失敗が「あって当たり前のもの」とすれば、何か間違えた時に自然にアラートが鳴るようなチェックサム*2をつける発想が出てくるし、相手を相互に補い合う思考が出てくる。


そうせずにゼロリスク論を振りかざしていれば、行動を行う人を恐れさせるだけで、失敗の真の原因は改善されず、いつかはどこかで問題が発生するだろう。
ちなみに、妙な厳罰主義を言い出す人は、結局のところ、その行動に自身が関わっていない場合も多い。いわゆる、担当外ってやつで。
そういう場合には「他者責任転嫁」の心理、つまりは本人が決して叱責される立場にはならないだろう、という思考が働いている事もある。他人を締め上げる言説は、実際、無限に言い続ける事が出来ると、私は思う。 ...それは卑怯で卑劣な事ですよ。

*1:水を飲むな、とか言ったりする。意味不明な常識論を言い出して、周囲を困惑させたりする。

*2:最近ではここの部分に軽く自動化を入れるのが IT系の現場の流行りですね。