luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

自分が目指さなければ誰にも到達できない地点、それが「自分の夢」

〜誰の言葉を信じればいいの〜

最初に、この映像を置きます。


で、この映像もね。


最初の映像、メガネを取っているのだけど、本人のコメントを。

「...無防備な状態の自分をさらけ出す事があります。 そんな私にとってメガネはオンとオフを分けてくれ、自分を守ってくれる盾みたいなもの」という事、です。
あれは「心の盾」みたいなものだったのかな。ご本人の普段の生活を知らないので、想像で言っていますが、普段はメガネを外して生活していたのかも知れませんね。
いわゆる、芸能界の方って、好奇の視線にさらされることも多いわけで、なかなか普段は本音を言えません。そういう心理からのことだったのかもね。まあ、本音が聞けても、結構生々しすぎて芸能界の厳しさに滅入ってしまう状況*1もあるのですけど。
ご本人が新たな夢を目指して動く際の象徴として、メガネをはずしたジャケットを作ったそうです。
続いて載せた映像では、ご本人の作品でもある「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」の歌に載せて、人々の未来への手紙、そしてご本人の手紙もつづられます。いろんな人の手紙、いろんな人の意志。
ラスト近くで、十五歳の少年の迷いも語られます。「夢って、どうしたら持てますか。」
ご本人の新たな夢と、未来への手紙もラストに。

自分の言葉、自分の判断を信じましょう。

「誰の言葉を信じればいいの」への答えは、私は「自分の言葉」と答えます。ただ、そのためには信じるに足る、ちゃんと理で図れる内容を自分で探し、考察しなければならないけど。
そして、十年後の自分に届くだけではなく、届いた自分が、その言葉と、過去からの自分の生きてきた姿に満足するためには、自分を偽らずに懸命に生きていくしかないんじゃないのかな、と思います。
歌の映像の人々は芸能系中心の職業が多かったので、いわゆる会社員系の仕事をしてきた私が主張しますが、私は会社員で、会社の名前でモノを企画し、製品化してきましたが、最初、実は夢は持てませんでした*2
でも、自分が作り上げてきたものに、自分が得たものを注いだ結果、それは自分の意を得て世に問うた製品とほぼ同義になり、その「製品を認めてもらう事」が夢となり、とある分野で第一位の評価を得たことも相まって、私の中での「夢への到達、そして自信」になりました。

前を見て生きる事は楽しい。

夢は望めば必ず叶う、と安易な事を言うつもりではないし、望んだ夢をすべて叶えなければならないという風にも思っていないが、こうなりたい、かく有りたい、という目標を持って生きると、身につくことも多く、生きることが楽しいと思う。...どうか、夢を抱くことを諦めないでください。

最後に、「誰の言葉を信じればいいの」として語られる心理は、自分自身の迷いとしての、「他人の評価への懸念」や、「心配」だと思います。そういう心理に陥った時に、他人の評価を聞くか、それとも妥当でない評価としてスルーするのか、という判断は結構重要だと思います。不適切な評価を聞いてしまうと、気分を害するだけでなく、自分の将来にも害悪です。
それが妥当な評価かどうかを判断するのは非常に難しいのですが、それが評価者の確証バイアスや偏見ではなく、多くの多角的正確な指標に応じての論理的評価なのか、を重要さを判断する指針にしてみてください。そうすれば、自分の夢へ向けての行動も、その評価を参考にしての正確なものになると思います。


...どんな世に生きていても、幸せであってください。
〜「拝啓 この手紙を読んでいる あなたが 幸せな事を 願います」






[]

*1:これは私の知り合いの話。芸能界だっていろいろあると思うので、少なめのサンプルとして捉えてください。

*2:波瀾万丈の会社員スタートで、ほぼ挫折みたいな状況だったのです。