luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

実生活の困窮の見える化は、相手の譲歩を引き出すが、それも所属団体の理解あってこそ。

昨日の記事 他人にひどい事をしても言っても、恥ずかしいと思わない人は一定数存在する。 - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック の続きです。
昨日も書いた内容ではあるが、ネットより実生活の方が、一般的な反応として弱者に無慈悲になるのは、実生活の色々な所作で体験します。
ネットでは、某大型掲示板も含め、炎上などでエスカレートすれば別ですが、実生活に簡単には影響を及ぼせない*1ので、その分だけ、ネットでの危険は少ないと見る。ネット独特の危険も存在はするが、一般生活が身体をリアルに晒し、攻撃の可能性を常に生じているのに比べ、間接的なだけに、危険性が減じられている感じだ。
勿論、現状であって、今後ネットの影響力が増し、それに呼応せず対象への状況把握が薄いままであれば、ネットの攻撃性の方が乗じることもあり得そうではあるが、今のところは。
ネットでの攻撃性が減じられる状況として、昨日も少しだけ書いたが、やはり自己の攻撃内容の痕跡が残ってしまう事が挙げられると思う。その痕跡で、自己の攻撃性を高める人間もいるだろうが、ひとまず、再度の自省を生むし、過度の攻撃は相手の反撃*2を呼ぶ根拠ともなり得るし。攻撃内容の見える化、とも言うべきだろうか。


相手の攻撃している姿や、攻撃した後の相手の結果は、それを明確に示すことによって確かに攻撃が止む場合がある。ある程度は実生活の攻撃に対する抗議として、有効になる事がある。
相手との会話で、そしてメール等で、これを示した場合、正当な批判であり、相手の肯定を引き出した場合において、相手が譲歩に及ぶことがそれなりにある。なので、私は相手が実情を理解していない可能性も考えて、その事実を示すことにしている。...ただし、相手にそれが正しく受け取られる必要があるので、誇張や感情的な訴えよりは、起きる内容を淡々と伝えた方が効果的なようだ。


ただ、これには欠点もあって、そもそも相手の事情なんかまったく考慮しない人も居る*3し、対応できない事情がある場合もある。
本人が事情を考慮しようとしているときに脅威となるのは、所属団体の意向や、傾向、所属要員の拘束性ですね。相手が事態を解決しようと動いているのにも関わらず、しばらくして言葉を詰まらせたり、逆の意見を感情のこもらない声で述べてくる場合、その集団の周囲状況がそれを許さず、個人に翻意を促している事が良くありました。
所属集団への説得も必要なんですが、チャネルが窓口担当者しかいない場合には、影響を及ぼすのは困難です。担当者のみ困窮を理解してくれている場合も多いですし、集団が大きければ説得の機会も少なく、影響力行使も比して小さくなってしまいます。
大企業や、国、多数集団の、個人への対処が冷酷になるのは、そういう個人の窮状が比例して伝わりにくくなる事にも要因があると思います。情報を正しく伝え、実情を理解してもらうのに、個人対多数集団だと、非常に難しくなりますね。

*1:強迫行為や、相手のリアル身体への付きまとい行為、実生活の場や、実名の解明と晒し行為が生ずれば、相手の強烈な攻撃となる。また、そういう場合にはリアルな一般生活よりは相手への攻撃性は強いが、そうなる事は一般的ではない。反面、一般生活では、それなりのリスクで身体への危機になる場面は存在する。単純に私の実感であり、統計的な数値はないのではあるが。

*2:場合によっては目撃した観客が加わることもある。

*3:現実世界はネットとは違い、繋がった関係を簡単には切ることが出来ない。繋がりの弱い関係だけではなく、繋がりの強い関係も存在している。そういう相手を簡単に切れたら良いのですが、そうはなかなか出来ない。