luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

高齢者に限った話でもないが、死生観を言う前に、生き方を考えるだけで済むのでは?

今週は「胃ろうとシュークリーム」の特集週間と化していますね...。
ちなみに、利益相反的な事を言っておくと、熊田梨恵さんとは、先週ほぼ一時間程度しかご一緒していませんので、あまり関係者的な考察をするほど接してはいない、とは言えると思います。
さて、閑話休題*1
「胃ろうとシュークリーム」でも、医療者の取材の際に出てきて、私が違和感を感じた単語が「死生観」です。安楽死尊厳死などの際にも出てくることはあるのですが、私はあんまりこの手の言葉は好みません。
例えばですが、誕生の際に障害を持って生まれてきた子供がいたとします。その子供に、たとえ生命の危機を有する障害を伴っていたとしても「死生観」とかいう言葉を使わないと思うし、使ったら多分異議を申し立てていると思います。
そんな大層な言葉を使わずとも、各自の生き方、将来の人生への考察で説明がつくと思います。


こういう大層な言葉を使っちゃう背景としては、多分、多くの人は自分のいつか来る死について考えない、という含みがあるのでしょうね。でも、私自身はとある理由から、私の死を昔からイメージしていますし、結構多くの人は日常的に常に考えていないだけで、実際には自己の死のイメージって捉えていると思いますけどね。
ちなみに、私は昔から「死生観」の言葉を使いつつ、人に勝手な考察を強いる人に良く言う言葉があって。


「ふ〜ん。一度も死んだことがない人が、他人の死生観とやらについて言及するの?」


この一言で、ほぼ全員が黙ります。
黙らない恥知らずもたまにいますが、まあ、そういう人は、大多数の人にとってもスルー対象になるような人だったりします。
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*1:「かんわきゅうだい」です。「閉話」ではないので、ご注意。