luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

高年齢時期の認知力低下の「胃ろう」の問題として絞って見るのであれば、延命と自己意志の選択肢問題になる。

過去の「胃ろうとシュークリーム」に関する記事でも書きましたが、「胃ろう」だけを取り上げ、『どの医療症例の場合の「胃ろう」』と条件を絞らないと、間違った視点の記事になります。
最近の記事では見かけず、「胃ろうとシュークリーム」の中に書かれていて、参考になった視点としては、看護師の手のかからなさ、という視点での「胃ろう」という話もあります。
本人が望んでいるのであれば構いませんが、本人が望んでもいないのに、そういう管理面での視点で、本人に「胃ろう」を造設したまま、口から食べる訓練に移行せずに放っておかれているケースがあるのであれば、自分たちの管理の都合を、患者に転嫁している事になります。
もし、そういうケースがあるのであれば、患者の自己選択権を奪っていることになりますので、時に、虐待の疑いも出てくるでしょう。患者が弱い立場に置かれているのを良いことに、そういう外からの都合を患者に強いているのであれば、そういう事になります。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=84945 に書かれているように、経過が良ければ、「食べる行為」に戻っていく、という選択肢もあるのですから。

3年前に脳梗塞で倒れた。右半身がまひし、のみこみの障害も出た。搬送された病院では、鼻腔(びくう)チューブからの栄養。鼻のチューブは不快感があり、自分で抜いてしまうため、動く左手にミトンをはめられた。「再び食べるのは無理でしょう」と言われた。

 3週間後に転院した県立五條病院で、勧められて胃ろうを造った。1か月間、食べる訓練を続け、その後、リハビリ専門病院で半年、口からの食事を併用した。発病の1年後には胃ろうを外した。
 今は平日は介護施設に滞在し、土日は自宅に戻って普通の食事を食べている。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=84945


本人の体の状態や、精神の安定度、認知症の発症の具合、色々な条件が重なり、安易に判定を固定化するのは避けたいが、高年齢時期の認知力低下の「胃ろう」の問題と限定した話にすれば、自己の延命と、自己意志での選択権の話になりますね。
認知症でも、最終的に自己感情という感覚は最後まで残るようです。その状態での本人の選択肢が確認され、医療の選択肢として最適な選択がされるかどうかがカギとなると思います。勿論、簡単な事ではありませんが。
日弁連では、現在は成年後見制度の後見人が、医療選択肢の決定権を持たないこと*1を根拠に、成年後見制度に関する改善提言 2005年5月6日 日本弁護士連合会 では、下記記載を行っている。

7 医療同意と後見人の職務
(1) 判断能力の喪失した者に関しては、第三者の医療同意に関する法の整備に早急に着手すべきである。
(2) 制度の内容としては、成年後見人に対し、医療行為についての同意権を与え、死亡の恐れや重大かつ長期に及ぶ障害の発生するおそれのある医療行為については別途の機関による許可事項とすべきである。

しかし、私自身は安易に第三者に介入させることには懸念を持っている。本人の意志をちゃんと反映されることが前提であり、他者がそれを毀損しないか、懸念しているが故である。あくまで、本人の意志が主である事を忘れてはならない。
日本老年医学会がまとめたガイドラインでも、医療行為を中止する考察は出てきますが、それを選択するにあたっては「自己意志での選択権」が非常に重要となってくるはずです。


さて。難しい話であるし、今日はここら辺で筆を置くことにする。
最後に、永遠の命、死を免れる力を扱った二つの映像作品が興味深かったので、「胃ろうとシュークリーム」と合わせて紹介しておきます。ある意味、正反対のラストを迎えるのですが、なかなか興味深い内容でした。

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*1:後見人は債権の管理が主です。本人の医療選択肢の決定権は持ちません。