http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130425/stt13042508440001-n1.htm
昨日、嫌悪感を抱いたのは上の記事の話。
まあ、本人に自覚は無いのかもしれないが、こんな事より、「非喫煙者の、喫煙者に対する副流煙の損害賠償請求」を気にしたほうが良いんじゃないの?
そもそも、生活習慣病の名前がいけないのかも知れないが、元々の遺伝子素養と、生活の長年の集積*1が招いた結果の発病であって、みんなが同じ暴飲暴食をしても発病する人が限られる以上、「単なるいちゃもん付け以外の何者でもない」んだけど。
まあ、マスコミ的な抜き取りもあるかも知れないので、本人には特に言いません。酷い人は他にもいっぱい居るし。
ただ、国会議員というのは国政に影響を与えるので、発言は慎重にしていただきたいのが本当のところ。医療分析でも、日本は食に対する警告より、喫煙が多すぎる、と言われている*2ので、そっち報告に注目していただきたい。
さて。ところで昨日も少し書いたが、人は「自分が何事も無く生まれた事の奇跡」に関する感覚の鈍化は酷いですよね。
人が顕著な障害もなく生まれ、生きていく上で後天的な障害も持病も無く生活できる幸福な状態、精神的な疾患も生じず、また職場もブラック企業ではない幸運。
そういう条件が揃った状態は、この世の中でとても幸運な人生だと思いますが、多分、そういう人生を生きている人は、その幸運な状態に鈍感です。
どちらかというと、障害を生じていたり、病に悩んだ人の方が、健康に生きられる幸運を価値高く評価しています。
先日も少し書きましたが、とある企業で就業にあたって、事務員の就業審査に容姿を密かに条件にしていた人がいました。まあ、その人は既にお亡くなりになっているので、既にそれ以上の実害はないのですけど。
また、これは未だに被害者を増加しつつあるのですが、とある企業で、来る派遣社員に酷いパワハラを続けている人が実在します。
本人は権力を手中にしているので、抗議にも何食わぬ顔で、問題化しようとするたびに、相手社員を退職に追いやったり、派遣であれば雇い止めにしたり。
そういう姿を見るにつけ、人が特権を得たり、幸運な状況に居続ける事は、自己の恵まれた環境の奇跡への感覚を鈍化させるんだなあ、と思います。結局、同じ環境がずっと続くと、反省を何もしなくなってしまうのですね。
そういう意味では、特権と思えるような環境に、永くい続ける人には、一度、周囲の環境を逆にしてもらって、自らの幸運を自覚してもらいたい、と思うところ。