正確には「殺されたのか?」ですね。
...兵十に、銃で撃たれた、という事ですから。
そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねがうちの中へ入ったではありませんか。こないだ、うなぎをぬすみやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。
http://www2.saga-ed.jp/edq12801/hiranoHP/hirano-el/gongitune.html
「ようし。」
兵十は立ち上がって、なやにかけてある火なわじゅうを取って、火薬をつめました。そして、足音をしのばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンとうちました。
ごんは、ばたりとたおれました。
もう、これほど明確な描写はなくて、要は「自分がいたずらをしたと思い込んでいるきつね」を殺そうとして、撃った、そして「ごん」は死に、最後に転がる栗で、自分の誤解に気付く、という図式です。
要するに、自分を害する存在、そういう意味でしか、相手を捉えられなかったわけです。相手にも道理があり、また、相手が誤解を正そうとしたこと、また、相手が自分なりの方法で罪を償い、相手に利をもたらそうとしたこと、それに気付けなかった。
そして、銃を取り出しているのですから、物語の中とはいえ、何の問い詰めも、調査・確認もせずに、相手を殺害しても良い、と考えていると言う事です。猟師のきつねに対する考えですから、無理からぬ、とも思えますが、要は相手を殺す事を通常のことと考えていた、という事です。
過去の関連記事で『自分の言動、行動で、人の生死を左右する事に、もっと敏感になってください...。 - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック』という記事も書きましたが、人は相手の身に何が起こるか想像がつかないと、愚かな行動を起こします。
何気に決定したことが、相手の死に繋がる事は、実は結構あると思っています。就労問題などは最たるものですが、多分、他にもあるでしょう。
私は無造作に銃を取り出して、利をもたらしていたかも知れない、ごんを撃つような真似はしたくない。特に人の運命に直結するような決定には慎重になりたいと考えます。
...冷たい冬の空に、ふと、そんな事を思いました。