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悪意は、総てを無に帰す

タイトルの言葉を口に出す際には、「当たり前だ」という言葉が返ってきそうだが。
しかし、自身の行為が、『(1) 相手の状況に及ぼす影響に無関心、(2) 周囲に及ぼす影響に無関心、(3) 自身がそういう感情に囚われていることに気づかない、(4) 露骨に相手によって対応を変える。』等の行為になっていることを気づいていない、という状況は多そうだ。
(1) (2) の内容であれば、相手や周囲の観察が不足していると思われるし、(3) だったら、自分の感情を見失っていることになる。(4) などは、『相手をえり好みし、価値ある情報などをもたらしても礼を言わなかったり、無視する。』ということであるから、明らかな悪意だが、自分が気に入らない人だから、という理由で、その行為に気づけていない、なんてのは良く目にする。
これ以外でも、ダブルバインド*1や、ダブルスタンダード*2は、悪意と取られるであろう。まあ、気づいていないことも多そうだが。
いずれにしても、自分が行っている行為が悪意を持つ、と受け取られている*3か、もしくは、自分が悪意を持っていることを認識できている*4か、それが行えなくてはならない。
さすがに、これは特段の事情*5でない限りにおいては、さほど難易度は高く*6ないような...。


まあ、『契約交渉は、双方が自分自身を見つめる絶好の機会である。*7』ではあるが、『すばらしい鏡を見たくない人もいる。*8』でもあるのだけど。

参考文献
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*1:同じ行為に対して、時系列的に異なるとき、表現形式が異なるとき、違うメッセージを表現する。

*2:異なる基準を設け、対象が異なるときに、それぞれの違う基準を当てはめる。単なる間違いであることも多いが、恣意的に行っていることも。

*3:自分の感情に気づきにくいときには、相手の行動を正確に評価する眼が必要となる。自己の正確な観察眼の創出。

*4:自分の感情の正確な把握が必要となる。自己の正確な感受性の創出。

*5:精神的疾患を持つとか。

*6:これができないと、社会的な生活を営むことが困難になると思う。

*7:参考文献、P.131 「モニカのすばらしい鏡」

*8:参考文献、P.132 「モニカの鏡の警告」