luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

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人を外から見て気づける事と、その限界。

今日は単純にメモ書き程度。


人を外側から、観察したときに、通常の付き合いがない場合には、内面に立ち入った知識はない。
よって、その際に、その人の観察視点を知ることは、非常に重要*1
観察視点は、その人の意見の表明や、同じ事象への異なる意見に対する、それぞれの行為である程度は知ることができる。
だが、その観察視点も外見からの推論であるならば、相手への推測は、かなり限定的であり、合致率はかなり低いといわざるを得ない。


人は、自分の行為が、あくまで自分の外側からの観測視点からの評価であることを忘れると、自己の視点の検証を忘れ、それを絶対的尺度として間違った適用をしてしまう。
正しくない情報を声高に主張しているケースを目撃したら、そういう「視点設定自体が間違っている。」もしくは「検証を怠っている。」という条件に当てはまっていないか、疑った方が良いだろう。
特に、相互の会話を行ったことがない、一方的な観測は、その可能性が非常に大きく存在することは、忘れてはならないであろう。


まあ、論理的に思考する人にとっては、当たり前すぎる気もするが、こういう、当たり前のような事でも、時々思い起こしていないと、つい、つっかり失敗とかをしそうなので。


今日は、単純に備忘録、みたいな内容です。

関連リンク
原因帰属*2

参考書籍
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*1:観察視点の確証バイアスの傾向を知ることができる。

*2:「基本的な帰属の誤り」「行為者-観察者バイアス」「セルフ・サービングバイアス」「コントロール幻想」「過度の責任帰属」などがある。一番最後の項目などは、最近だと、災害や事故に対する責任を過重に、対象者に言い立てる内容などが該当する。