『2011-08-14』を読みつつ、戦中史を少し調べていた。
コメント欄に、「VT信管」と書いたが、この言葉は、特に海軍機の太平洋戦争後期の損耗を語る上では、非常に悲しく、かつ重要な意味を持っていたりする。
『戦史玉手箱:第13回 VT信管とCIC(マリアナ沖海戦における日米科学技術開発力の差) - livedoor Blog(ブログ)』の記事。
米軍の発明したVT信管は砲弾に超小型のレーダーを搭載し近くに飛行機がきたら感知して爆発するのです。飛来する飛行機に向かって砲弾を発射すればVT信管が飛行機を感知してその近くで爆発し破片と爆風でその飛行機を落とすことができます。
http://blog.livedoor.jp/sensitamatebako/archives/50454605.html
さらに、CIC も開発されつつあった。
各種のレーダーが探知した目標を評価しCICを通じて迎撃戦闘機に敵機の進路や高度などを即座に指示するシステムです。
http://blog.livedoor.jp/sensitamatebako/archives/50454605.html
...実際、太平洋戦争の後期では、熟練搭乗員が既に少なくなっていた事に加え、上記のシステムが米軍艦隊の防空網を構成していて、実際の攻撃が有効に効いていたとは言い難い状況になっていたようです。
にも関わらず、その対策が考察されたとは考えにくく、以降、出てくるのは特攻攻撃やら、精神主義やら、事実隠蔽*1やら。...初戦の勢いはどこへやら、惨憺たる有様になっていくわけです。
まあ、当時は民主主義国家ではなく、また、戦時心理から、相互監視体制*2になっていましたので、各自の思考が、視野狭窄になっていたのは仕方がないとしても、そういう体制を、自己の歪んだ他者支配の心理から維持した一般の人々*3がいて、そういった無思考の行動が、悲惨な敗戦を生じさせた、と言う事実は忘れてはならないと思います。
...戦争に至った事実よりも、私が怖いと感じている事があります。
そういった、他者を支配し、事態が変化しても、それに論理的な解決方法を考察せずに、精神論で「何とかなる。」と言い、それに論理的に反論する人を罵倒する状況は、今も変化していないように見えます。
ですから、今は戦争という事態ではないですが、人々を酷く抑圧する体制や、思考、そういった呪縛*4からは、未だ、自由になっているとは、私には思えないでいるのです。
つまり、戦後、と言いながら、精神構造自体は、戦中を引きずっているように見え、その解消には至っていないように思えるのです。
集団で少数を叩いているような風景を見ると、その事に思いが至り、非常に嫌な気分になります...。