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考察 - 「あなたを抱きしめる日まで」...隠れテーマ?「神の権威を借りて、人を罰するな。」

赦しと悲しみの中に、何を見るのか。まさに宗教の映画、ですね。映画「あなたを抱きしめる日まで」 の続きです。

ネタバレ描写がありますので、純粋に愉しみたいのなら、観てから、どうぞ。

この映画を再度観返していて、気がついたことがあります。
もしかしたら、ですが、隠れテーマとして、神の権威を借り、人を罰したり、人を罵ったりする事への警句があるのではないのかな、と思えてきました。
例えば、修道院の主人公への仕打ちや、子供たちにした事です。
フィロミナの子供に関係する書類は、彼女が修道院への問い合わせをしているうちに、火事で焼失します。ですが、彼女が修道院の行為に不服を申し立てません、という誓約書*1だけは何故か都合よく残っていました。映画では明確にはなりませんが、修道院側が証拠隠滅を図ったのではないか、と示唆する描写があります。「マーティンの疑い」という形をとってはいますが。
フィロミナの出産の際に、逆子の出産となり、フィロミナは酷く苦しみますが、シスターたちは罰だと言います。しかし、そこで罰だと言って良いのでしょうか。どのような形であれ、それを下すのが神の意志であり、裁くのが神のみが成す行為なのであれば、その表れを安易に評価するのは、神の権威を借りて人を裁くことになってしまうのでは?
また、彼女たちは子供に会うのは、週に限られた時間であり、また、どうやら彼女たちに安息日*2は無いようです。日曜日に休んだりしないのは、どこが、どの権威で決めたのかな...。少なくとも、神の言葉としては、そういう決め事は無いと思うのですが。
息子は、最終的に母親フィロミナの修道院へたどり着き、そこに葬られる意志を示しましたが、フィロミナには息子の死と、墓は積極的には知らされません。それを問い詰められると、ヒルデガードは何故か、フィロミナの姦淫に言及しますが、それが蔑みの行為であれ、裁くのが神であれば、葬られた息子の事実を告げない、本人の行為は勝手に神の権威を判断して、フィロミナに下している罰の行為ではないのか?
そして、その行為を当のフィロミナに赦される、というバツの悪さ。これには非常な苦しみを伴っている事を示唆してか、フィロミナは「赦しには非常な苦しみを伴う」と告白しています。
ヒルデガードは、マーティンの非難に、「私を裁けるのは神のみ」と言いますが、フィロミナに対して、神に代わって罰を与える行為を成したように見える自分自身は不問としているのも、非常に都合の良い考えに見えます。
翻って、フィロミナの息子が、政治家の側近でありながら、ゲイであることを明示できず、その部分で不遇を囲っているのも、なんとなく、周囲の社会が神に代わって罰しているかのように見えてしまいます。まあ、ここの部分は明確に誰かの意志で、という描写はありませんが...。
http://d.hatena.ne.jp/luckdragon2009/files/eiga160724.jpg?d=.jpg

*1:ちなみに、日本国憲法的な視点ですが、公衆良俗に反する契約は無効なので、人身売買を示唆する行為に対して、文句をつける行為は多分、無効にはなりません。

*2:週に七日働いている、という情景描写(字幕)がある。