luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

余裕が無いという事は、余裕がある人にはなかなか分かりません。

<生活困窮>強制退去の日、娘を殺害 千葉地裁で12日判決 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース から。

娘の制服を買うためにヤミ金融にも手を出したが、生活保護は受けられなかった。「なぜ殺してしまったのか。誰かに相談すればよかった」。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150612-00000002-mai-soci

このニュースを見て、何故、と問い詰めが出る人は、きっと切羽詰った時の視野狭窄に思考が行かないと思う。
無論、殺人は刑法上の犯罪であるし、罪を問われる行為だが、それに思いが至らぬほどに、余裕がなくなる心境というのはあり得る。
どこかの時点で、本人の思考は他者の助けなしでは、苦境を脱する事が困難な状況になっていて、それこそ、他者の助けが必須だった筈が、それを受けられなかった時点で、この人の人生を決定づけてしまった、悲劇なのだと思う。
普通に生活している人たちは、その生活に余裕があり過ぎて、余裕がなくなった人の生活の、融通の利かない状態、行動が固定化し、悪循環の円環に捕まってしまった状態を想像できない。
そういう事態がある事自体を気付けない人は、きっと本当に追い詰められた生活、というものを経験していないのだろう。
自身のケアというものは、実は自分の心に余裕があるからこそできる行動で、余裕がなくなってくると、自身のケアにさえ心が回らず、事態の悪化に自分自身でつっかい棒を出来なくなる事態が到来する。
そういう事に想いが至るためには、きっと、本人がそういう状態を一度でも経験する必要があるのだと思う。
私は、自分に余裕がなく、自己にかなりの悪化要素を負わせた事態を経験している。
故に、その怖さを知っていて、そういう状況では多くの事が不可避になり得る事を知っているが、そういう事に想いが至らない人は、そんな精神的破綻状態で、行動がコントロールできていない状態があり得るのを知らないのだと思う。


そういう人は、平気で、そういう相手を言葉で殴りつける。
血が見えない分、殴った事に気づかずに。