luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

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子供は、親の玩具(皮肉だよ)ではない。

子供は生まれる親を選べない。また、子供は親から生まれるものではあるので、その親自体に何らかの問題があれば、子供が悲惨な事態になり得るのは、DV問題、ネグレクト、マルトリートメントなどを調べてみればわかる。
子供が成長した後も、とんでもない事が起き得るのは、親の執拗、常識はずれのストーカーに困っています。30歳女性です。長... - Yahoo!知恵袋 の記事などを読んでみればわかるし、マルトリートメントについては、子ども虐待とは | 子ども虐待について | オレンジリボン運動 - 子ども虐待防止 等がある。
また、ネットなどでも twitter で良く話を聞いていると、案外普通に、子供を自分の勝手で振り回す毒親の存在があるのに気がつく。それ以外にも、色々な場合に、親の精神状態から、子供に被害が及んでいる例を、色々な場所で聞くことになる。
親に対して、素朴な幻想を持つ方には申し訳ないが、所詮人間は不完全であるから、現実的な親子関係に於いては、それなりの確率で問題が発生していると見るべきで、親を名乗ったからと言って、無条件に信用してはいけないのであると思う。
親は子供が自分から生まれる故に、子供を自分の所有物のように、時には玩具のように扱うが、子供は結局の処、最終的には精神的に独立した別個の存在として生きていく事になる。遺伝的な繋がりがある故に誤認しやすいが、そこには独自の考えを持ち、行動する人間の精神が存在する。決して、親の付属物ではない。勿論、玩具ではない。
こんな例がある。→ 「こんなキラキラネームはいやだ!」 子供による「改名」が認められる条件は?|弁護士ドットコムニュース
これは、親に不適切な名前を付けられた子供の活動である。まさに、これこそ、親の勝手に振り回されて、対抗手段を取らざるを得ない、子供の素の姿である。


先日の福島の話を聞くイベントで、親子がらみで興味深い話を聞いた。
子供のために、避難を選択した親が、当の子供に、「私は福島に帰りたい」と言われ、「子供のために」という言葉を取り下げざるを得なくなった話だ。つまり、その時点で、「子供のために」という理由が消失する。
子供の判断は、案外親と違う。そこの部分をちゃんと考えておく必要がある。