luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

人が他人を評している時に、その評を聞くのではなく、その行動の所作に注意深く、観察しなさい。見えてくるものがあります。

タイトルは、私の処世訓です。
評論者というのは、誠実である人、不誠実な人、色々居ます。なので、評論しているから、と言って、そのまま、即、嫌な人間かと言うと、違います。ただし、評論が他者を害するものも多くあるのは事実なので、それを聞くよりもまず、その評論の姿勢を観察しよう、という事です。
その評論が、何らかのバランスを生じさせ得るもの、例えば現実の迫害層を救済させるために、現在の優遇層を批評し、迫害層の救済を要求する。こういうのは、内容の程度にもよりますが、かなり妥当なものだと言えるでしょう。故に、内容に耳を傾け、その内容が正確かどうかを確認し、必要であれば支持してあげればよい。
しかし、世の中の批評と言うものは、そういうモノばかりではなく、単なる自己偏見の主張だったりするものがあります。数としては、こちらの方が多いでしょう。
例えば、集団の中の一人、ないし、少数の人間に対し、その人が置かれている境遇を無視し、勝手な解釈を披露し、そればかりか、本人に対して、本人が強く否定できない立場*1なのをいい事に、人前で説教、叱責を始めたりする。周囲の冷静に観察している人間から見ると、「お前も同等。と言うより、それ以下なのに、何言っているんだ。」なのですが、本人は得意満面なわけです。
実は、私の職場の至近に居て、かなり呆れる存在です。ただし、こういうのはうまく機会を捕えて批判しないと、自己の認識が無いので、行動訂正が難しい。よって、その批評を無視するしか、通常の対処が無くなる。そのためには、その行動の姿勢を、ちゃんと観察しておくしかない訳です。いちいち、その批評に耳を傾けて無駄な時間を費やすのは徒労なので。
ちょっと、身近から、政治の場に目を転じて。
渋谷区の「同性婚」条例案、自民内から異論相次ぐ *2 より、「自民党の「家族の絆を守る特命委員会」が、何か言っているようです。

事実婚との関係から「同性間だけにパートナーシップを認めるのは異性愛者差別ではないか」との意見も出た。

http://www.asahi.com/articles/ASH3T5Q0KH3TUTFK00Y.html

ほう、そうですか。この会は、最高裁で非嫡出子が嫡出子と同等の相続分でないのは違憲だという判決が出て、民法改正が行われたのを機会に発足しているようですね。
非嫡出子が事実婚によって生じる事、さらには異性間には一般的にパートナーと認めうる社会的認知があるにも関わらず、同性間にパートナーシップを認めると、「異性愛差別」と言いだしている、という事を考察してみるに、これは非常に不誠実な発言なんではないですか?
そういう意見の姿勢があるという事は、この会の今後の批評意見にも、非常に懐疑的な視点を向けざるを得ません。どうやら、選択的別姓の制度にも批判的なようですね。どうも、他人の関係性に圧力を掛けたがっているように見えます。私の素朴な意見ですけどね。


今日は、批評本体よりも、その批評がどういう姿勢から生み出されているかを観察するのが重要、という話をしました。この処世術、色々な場面で応用できると思っているので是非、試してみてくださいな。

*1:少数派だったり、立場が弱い状態だったりすると、そうなる訳ですね。

*2:実際には「同性婚」ではない(同等の証明書)ので、タイトルには難ありですが。