luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

本当に危ういのは誰でしょうか。そして、明日を創るのは誰ですか。

冒頭で、参考となる文章を挙げる。伊丹万作 戦争責任者の問題 という文章。
タイトルで勘違いする人も多いと思うけど、これは戦争だけの話じゃない。今は戦時下ではないけど、この文章の通り、今の生きている世の中に起きた出来事に対しても、「誰かに騙されていた」と言っているのではないのか。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

勿論、現実の問題は直ぐに顕在化できるほど明確なものでもないし、起きている怖い事態は、私が認識している事態を挙げても、多くの人の賛同を得られるほど、明確な危険性として自覚されていない。
でも、それは実際に確実にあって、それが、私に今日のような文章を書かせている。


今日、社会の色々な処で見聞きし、私が怖いと思っているのは、大意に威を借りて、少数意見や弱者を過剰に叩く傾向です*1。その状態は、相手に優位に感じる感情に酔い、自身を見失い易いように思う。
その感情に酔っていると、自身の属する多数者の大意が醜く変異していても、大きな脅威を内包していても、その危険性に気がつかない。
いや、気がついていても、そこを意識する事を、何時か忘れる。そして、最終的に、その内包していた危険によって、自らが大きく傷ついたり、親しい人が大きな負い目を受けたりして初めて、自分が意識の外に追いやっていた危険性を思い出すのです。過去に、大戦で多くの人を失い、大きく傷ついたように。
そこに至るまでに、多くの事に気がつかない、社会心理の現象が、私が怖いと思っている内容です。


その対策として大事なのは、日々に少しずつでいいから、多様な危険について考える事、時には大意を外れて、他の視点で考えてみる事。時には少数者の意見も、実際に考え、実践する方法を考察してみる事だと思う。
それは多様な視点を生み、柔らかくしなやかで強い思考と、行動の成果を生んでいく。
多様な視点は、「誰かに騙されていた」という思考からも脱することが出来る。騙されるのは、「主張を多様な視点で検証していない」から。
自分が多様な立場で行動する視点を持てば、大声で喧伝される以外の小声の意見にも、ちゃんと論理的なものであれば、何らかの納得できる内容がある事に気づく。それば、大意とされている意見の、隠された間違いにも気づく事ができ、それは結果として、騙されない事になる。

一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(せいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

多くの場面で、世の中に危うい傾向が見える。それは、決して他者に存在し、自分の外にあるのではない。それは、実際には自分の中にも少しずつ存在しているモノである。
そこに気づき、それをちゃんと自己分析して修正していければ、明日の未来をつくっていくのも、実際には自ら責任を負う、自分自身だという事に気づくはず。


もう一度問う。「本当に危ういのは誰でしょうか。そして、明日を創るのは誰ですか。」

*1:対象は弱者の事も多いが、自分の集団が多数であると、他の人間の後ろに隠れて、大きな脅威に対抗する手段も無いのに、それに立ち向かうようにそそのかしている場合もある。前回の大戦は、そういう傾向があったようにも見える。日露戦争後の民衆暴動以降から、そんな匂いがする。