luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

優位に立った時こそ、試される時。それぞれの精神が引き寄せた、危機と助力。

対象的な職場があった。
どちらも、好況であった。しかし、職場の精神は真逆。
片方は自己の優位に酔い、笑顔で迎え入れた有期雇用契約労働者を酷使し、不要となれば相手の事情も考慮せずにポイ捨てした。もう片方は、技能の評価に伴う待遇をし、それでも褒められるべきなのに、あまり高い能力を示さない場合にも、時に助力で通常の能力が発揮できるか、「再チャレンジ行為」までをした。
後者があまりにも「甘いのでは」と上層部に問われた時に、現場の責任者はこう言った。
「私は自己の観察眼、管理能力に慢心を抱きたくない。私が見落とした内容だって普通にあり得るのだから、リトライくらいはしておきたい。」
私は、とても感銘を受けたが、これほどの自己の精神のバランスを示す例は、特に好況で強気な職場には、実はなかなかいない。程度の大小はあれ、慢心を伴っているのが普通だ。


そして、数年後の経緯後がなかなか興味深かったので、メモ代わりに、ここに記しておく。良い教訓だ。
片方は、その精神が引き寄せたのか、自己を蛸壺化し、互いに自分の成果として、評価を奪い合う殺伐とした職場となった。おまけに、噂が生じたのか、非常に相手を軽視し、時に陰で他人を小ばかにするような人員ばかりが引き寄せられた。
それで済めばよかったが、現場の危機が生じた際に、互いの利己欲が顕著に生じ、大きな損害を招いた。
...そして、人員の性格のせいか、各人はまったく自己の責任は感じずに居る。多分、問題点が解決されぬままなので、二度目の危機もすぐだろう。


もう片方はどうなったか。こちらは特に問題なく推移したが、相手先の問題が生じ、現場に責任が転嫁されようとした際に、過去の恩義を感じてか、各人員が現場の責任者を支えた。実は、これにはおまけがあって、この時に成長し、助力に駆け付けた人が物凄い高能力を発揮したのだが、それが、かつて能力を見いだされずに、再チャレンジを試された人間だった。
その能力は再チャレンジ時どころか、戻ってきたときには過去のその現場の能力の高い人々をも超えていた。
過去の現場の管理者の言葉通りになった、というのは管理者以外が言った言葉だ。


...現場の管理者の精神バランスを考慮すれば、その時の言葉は想像可能かもしれない。
彼はこう言ったのだ。


「この結果は、私の行動の正しさを示している、というよりは、本人の不断の努力によるもの方が、より大きい。