ほぼ、タイトルが地の文になっていますが。
実際、人が不遇になるのも、運のめぐり合わせだったりする事もあって、私はそういう処で評価するのは間違いだと思う。
一見、不遇のうちに亡くなったり、その生涯に何らかの陰りが見えたとしても、その人が精いっぱい生きているのであるなら、そこを見ていたい、と常に思う。
人には色々な事が起こりうるもの。結果は、その人が望んだ結果ではなく、努力が報われなかった結果であることもある。疾患の場合などは特に。...そうでなくても、人には他人に見えない多様な事情がある。
大原麗子「孤独死」なんて呼ぶな! の記事を見つつ、そんな事を思っていた。
人間死ぬときはみんな一人。死は人生の旅の途中。たかが死なんです。それよりいかに生きたか*1。
http://www.j-cast.com/tv/2009/08/07046992.html
この文は、個人に触発された文ですが、書いた内容は万人に対して思う内容です。
*1:私はいかに生きた、の結果も問わない。本人の意志を、姿勢を常に評価していたいと思う。それが人生の根幹。