luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

熊田梨恵さんの新刊、「胃ろうとシュークリーム」を読んでいる。

先日、出版記念パーティにも出席し、熊田さん*1の著作説明、会田さん、近森さんの著作関係の座談会形式の、事実説明や質疑を聞いてきました。
まだ Amazon等では予約状態のようなのですが、著作も印刷会社から出たばかりのものを手に入れることが出来ましたので、ゆっくりと読んでいます。ほぼ、真ん中あたり、半分くらいを読んだところです。
途中なので、この時点での断言は避けますが、書籍を読み進めていくと、そもそも「胃ろう」という医療手段自身に問題があるわけではなく、その医療手段の強力な効果*2ゆえに、その胃ろうとという医療手段に、問題点や、各自の意思、願望が投影されているように感じられます。
「胃ろうの問題点」として挙げられる問題点は、実は「胃ろう」の問題点ではなく、胃ろうが図らずしも浮き彫りにした、日本の医療現場、介護現場、リハビリテーションの現場での問題点、なのです。
例えば、80歳代の高齢者で年金を非常に多くもらっている世代があります。この世代の高齢者の周囲には、その高齢者が死んでしまっては困る、年金が手に入らなくなると困る、という家族が存在します。
その高齢者に摂食の問題が生じそうになったら、どうするでしょうか? 積極的に胃ろうを造設して生き続けてもらおう、という願望が生まれます。本人の意思は不明ですが、少なくとも家族には。
また、急性期病院には、入院期間を長く設定できないジレンマがあります。また、短期であり、本人のかかりつけ医のような信頼関係が築かれていません。さらに、医師には医療過誤訴訟への恐れがあり、防衛的な医療行為に傾く圧力*3もあります。
そういった場合に、胃ろうは強力なインセンティブ*4になり得ます。
また、一度造設した胃ろうを外したい、としても医療報酬的*5には大きく得るものはなく、また、そういう願望が生じても、現状を変化させるには同調圧力に抗する必要がありますので、現状維持になってしまう*6
そもそもが、胃ろうを設定しない場合に、誤飲肺炎のリスクや、栄養を採れなかった際の衰弱していくリスクを許容する決定を下せるかどうか、という問題もあります*7
リハビリはリハビリで、色々と問題があります*8
社会は「胃ろう」という言葉で、何かを語ったような気になってしまう事が多いと感じていますが、この書籍から感じられるのは、それは「胃ろう」を見て、「胃ろうの背景にある、胃ろうが図らずも浮き彫りにした社会の現実」を見ない行為であり、本来の「胃ろう」は道具である、という意見です。
実際には、「胃ろうが図らずも浮き彫りにした社会の現実」が問題点であり、そこを見ずに、胃ろうバッシングをしても、胃ろう擁護をしても無意味だと感じました。


まだまだ、読書中なので、読後感想が変わる可能性はありますが、今のところの感想を書いておきました。

今回の記事で、取り上げた書籍*9
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*1:初稿では著者名の漢字が間違っていました。申し訳ありません。

*2:栄養摂取の強力な効果があります。それも即時の効果です。

*3:Wikipedia 防衛医療(判例に基づいた医療)

*4:ただし、会田氏の医師の分析によれば、訴訟リスクよりも、目の前の患者が死なない事、からの医療行為であることが多いそうですが。

*5:造設の際の医療報酬点数は、ほぼ 10万円(点数で言うと、1万)。

*6:高齢者の場合。若年者で一時的な経過処置として「胃ろう」を造設するような場合には、外す計画も立てられることが多いでしょう。

*7:書籍では「死生観の不在」が語られるのですが、ちょっとだけ違和感。ちなみに、過去に死生観については、こんな会話をしています。→『「死生観」に対する違和感、熊田さんとの会話等 - Togetter』 なので、どちらかというと著者が、そういう事に無関心という訳ではなく、各自が自分の死生観を語っていない事が問題なのかと思いますが。

*8:今、リハビリに関する章を読み始めたところです。

*9:まだ予約中状態です。