luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

今、もう一度問う。あなたの考えを違える(たがえる)可能性のある意見に、ちゃんと対峙していますか?

カール・セーガン博士
‏@carl_sagan_bot

私の両親は、科学者ではなかった。それどころか、科学のことなどほとんど知らなかったといっていいだろう。それでも父と母は、懐疑する精神と、不思議さに驚嘆する心とを二つながら私に教えてくれた。

https://twitter.com/carl_sagan_bot/status/307113338637266946

驚嘆する感性を大切にして、理由もなく捨て去ったりせず、あらゆる考えに心を開く一方で、証拠には厳しい水準を求めることが人々の第二の本性となったなら――どんなにすばらしいことだろう。

https://twitter.com/carl_sagan_bot/status/307128431215276032

そして証拠に求める水準は、大切に思うことだからといって甘くするのではなく、できれば拒否したいことに対するのと同じだけ厳しくしてほしいものである。

https://twitter.com/carl_sagan_bot/status/307264340153757696

世の中のあらゆる事は、実は、自分が今まで体験した事と、似ているように見えて細かく違っていて。
人は、世の中のものを、今まで体験した類似のものとして考えがち。それは、世の中のものに対して、「自分は分かっているんだ」という考えてしまう事に繋がる。
でも、それは違っていて、世の中の似ているものは、似ているように見えても違っている。


そして、世の中には、自分が今まで見聞きしたことのない物事が沢山ある。...結局、幾つになっても、自己の経験からの評論は、知識不足から逃れる事は出来ない。
だから、人は資料を読み、他人の論評を参考にし、異論を調べ、そして過去の歴史に学ぶ。


愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。


自己の経験以外に、知見を得るためには他者の意見、他者がまとめた資料が欠かせない。そして、その際に大事になってくるのが、根拠の検証である。
根拠の検証に大事なのは、どうしても甘くなりがちな、自分を肯定してくれる意見に対して、厳しい水準を求めることだ。
ここで冒頭の言葉と繋がる。...どんな場合にも、根拠には厳しい水準を設けましょう*1、という事ですね。
人は時に、確たる証拠もなく結論を決め付けがちであるが、それを避けて、違う内容も検討してみること。そして、常に「世の中を知った」という自己欺瞞に陥らずに、色々な情報を調べてみる*2ことが大事ですね。


結局のところ、人は最後まで不可知以外のものにはなりえないのであるから、世の中を「分かっている」と言い始めてしまったら、それは調べる努力を怠けるようになった、老化の始まりと捉えたほうが良いように思う。

*1:それが得られないときには、結論を留保しておく、という事も大事。

*2:単に聴くだけでは鵜呑みにする事になってしまうので、ちゃんと突っ込みを入れつつ。