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『子どもの権利条約 | ユニセフについて | 日本ユニセフ協会』の成立の基となった、子どもに対する権利宣言の発想者、ヤヌシュ・コルチャック。...彼が最後にした選択は、ポーランドのゲットーから、ユダヤ人絶滅収容所たる、トレブリンカへ、子どもたちと一緒に行進することだった。
直前に、彼に一枚の紙が届けられます。「あなたは、一緒に行かなくても良い...」
...しかし、彼はそれを否定し、幸せではない結末へ、歩を進めます。
死体も確認されず、最期の死の情景も分からず、そもそも、その時の状況は非常に劣悪で、醜悪な風景だったはずなのに。
普通は、結末を書きませんが、今回は結末を書いておく、と決めていました。
...何故なら、彼が最期まで、自分の意志を貫いたことを書いておきたかったから。
ラストの辛い結末は別として、彼の「子どものために、一緒に居て、子どものために何かをやりたい」という考えで、何をやったか、というのは冒頭の書籍に載っています。
彼は、いわゆる奉仕の精神だったわけではなく、「私が子どもと一緒に居たかったから。」と語り、ホームの職員の一人も、「奉仕の精神でここに来る人は長続きしません。一緒に居たい、それが楽しい人が続くのです。」と語っています。
ホームでの生活。子どもが自治的な組織をつくり、運営していく、その楽しさ、その思い出が、その子どもが大人になってからの感想で語られます。
子ども裁判、そして、その罰則である千もある項目の法律(法典)。
裁判に際して語られること「人間は間違いを犯すものだということ。そして、間違いを赦す必要性*1。」
公平であるための思考、決まり、試み。サマーキャンプ。演劇*2。
彼のホームは、古い時代に掲げられた、彼の誇りの明かりだったように思います。
子どもの権利条約は、彼が殺された第二次大戦の後、しばらく経って、1989年11月20日、国際連合総会で採択されました。
彼の起草内容*3を基とした、その内容は下記リンクで読めます。是非、読んでみてください。
参考資料リンク
『ヤヌシュ・コルチャック - Wikipedia』
『さくらのレンタルサーバ』
『敬愛する小児科医 ヤヌシュ・コルチャック医師について。 My Diary/ウェブリブログ』『ヤヌシュ・コルチャック 「子どもの権利」の探求 塚本智宏●メディアと社会』
『サマーキャンプと青年コルチャック ―子ども集団との初めての出会い― 大澤亜里』