『http://ameblo.jp/moonsun3/entry-11193226832.html』に寄せたコメントを、引用。
1 ■未来への願い
そうだな。
私はあえて、希望を未来に託したい。これを教訓にして。人間は望む未来へ向かうことができると思う。
最近作った、まとめ、二つ。
> ( http://togetter.com/li/269459 ) 先生がたは、頭固くないよ。 東日本大震災から、現実と過去、そして未来・希望へ。
> ( http://togetter.com/li/270475 ) 東日本大震災、もうすぐ一年。 あなたは、未来に何を残したいですか?luckdragon2009 2012-03-16 13:09:25
2 ■自己成就予言
参考:自己成就予言
http://blogs.dion.ne.jp/miewie/archives/7374851.htmlluckdragon2009 2012-03-16 13:56:33
http://ameblo.jp/moonsun3/entry-11193226832.html
...ちなみに、自己成就予言とは『http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/kougi/kyotsu/1999/9902prophecy.htm』より。
<「予言の自己実現」の定義>
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/kougi/kyotsu/1999/9902prophecy.htm
マートンは「予言の自己実現」(あるいは「予言の自己成就」)を次のように定義している。
「自己成就的予言(self-fulfiling prophecy)とは、最初の誤った状況の規定
が新しい行動を呼び起こし、その行動が当初の誤った考えを真実なものと
することである。」
人間の心理が行動に繋がることから、正しい前提ではなく、誤った前例であっても、人間の行動によって、その予言どおりの現実が出現してしまう状況を指しています。
ただし、実はこれを応用することによって、出現可能性がある未来*3であれば、望む未来を作り出すことも可能です。
先のコメント群は、それを示唆したものであり、参考資料にも、自己成就予言によって自己の境遇を改善していく例が、載っています。
諦めないなら、明るい未来を作ることは可能です。
自己の行動を考察し、現実を変えていくことによって、人は自分の望む姿になることは、実は可能です。
それをするか、しないかは、各人に委ねられていますが、それを試みることこそが、人生の課題だと私は思う。
関連リンク
『http://ameblo.jp/moonsun3/entry-11193226832.html』『先生がたは、頭固くないよ。 東日本大震災から、現実と過去、そして未来・希望へ。 - Togetter』
『東日本大震災、もうすぐ一年。 あなたは、未来に何を残したいですか? - Togetter』『君が代不起立処分最高裁判決(2)~卒業式は誰のもの? - Afternoon Cafe』
『http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/112997.html』
ここまで率直に語るつもりではなかったのですが、最後に一言。
皆から「なぜ留まったのですか?」と聞かれますけれど根っこにあるのは、次のような考えです。
歩いていて、前の人が転んで倒れたとき、どうするか?ということです。
立ち止まって、立ち上がるのを手を貸すか、それともその人を踏んで歩くのか、ということです。
私は転んだ人に手をさしのべるような人間になるように育てられました。
では、よい一日を。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/112997.html
*1:実はこの一言、とても重要な意味を持つ。他人を従属させる言葉を投げかける人が、自分を踏みつける人かどうかの判断は、とても重要。 もし、対象がそうだったら、そしてそれが私であっても、その答えに「YES」と答えてはいけない。はっきり、「NO」と言おう。 それが幸福の追求であり、人間の「人権」です。
*2:人権に関してはこちらも参考に。→『君が代不起立処分最高裁判決(2)~卒業式は誰のもの? - Afternoon Cafe』 例は、卒業式たけなわのこの時期、卒業生そっちのけで、この話題を話している連中に嫌悪感を抱いたから。 なので、特に特定個人に対して、何かを言うつもりではありません。
*3:どんな場合でも、出現可能性のない未来は出現しません。それが、この法則の論理的な所です。可能性のない未来が出現したら、それはオカルトです。