最近、ちょっと失望する事件*1があった。...詳細は言わない。あまりにも悲しいから。
あえて言わない*2ので、自分で色々想像して欲しい。
色々な場面で、相手を安易に「理解した」と思い込んでいないか、と。
「『相手*3』を理解していない」と思うことで、「相手を理解しようと努めて欲しい」という話です。
『他人の行動心理を推測する際の、誤りの話。 - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック』にも書いてはいるのだが、自分の心理にスポットライト効果が生じてしまったのか、確証バイアスもあるとは思うが、そういう行為が目に付いて仕方がない。
...まあ、自分でも少し困っている、と同時に、やはり、そういうことが多い、という事でもあるなあ、と考えている。
何せ、そういう事を戒める言葉には事欠かない。
聖書にだって、下記の言葉はある。*4
新約聖書「マタイによる福音書」7章1-2節
http://www.eigo-joho.com/J20161.html
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
安易に人を裁けば、同じ量りは自分に当てはめられる。単にそれだけではなく、多数で同時に同じ事をすれば、「ネット・イナゴ」という言葉があるように、対象に高負担をかける*5。
...それが意味することは、何となく想像がつくのではないか?
ま、この事件についてはこれくらいにして、対象への無理解、無関心が顕著に出た事件があったので、最後に少し取り上げる。
『大阪で3人の若者にメチャクチャに暴行されて死亡 殴られても殴り返さなかった 無抵抗を選んで殺されたネパール人の無念を思う(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/4)』より。
ダマラさんは普段もネパール人仲間に「ケンカをするな。暴力をふるわれてもやり返すな」と諭していた。結局、自分の言葉に殉じて亡くなったことになる。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31899?page=2
今回、監視カメラが撮った映像を見て、非常に驚いたことがあります。ダマラさんが殴られ、蹴られている後ろを、人が歩いているのです。でも、目の前の暴行を誰も止めようとしない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31899?page=2
リアル社会で起きた、殺人事件*6です。
勿論、助けに入らなかったのも、社会心理学上は「救援行動に対する、傍観者効果*7」だと思います。
なので、総てが無関心のせいだ、とも言わないし、被害者の無抵抗性も強くは肯定できない*8。
ただ、多数対1の構図と、救援がない無関心の構図が、冒頭の事件とシンクロして、とても嫌な気分になった。
どんな時にでも、起きている対象への謙虚な「無知の知」の姿勢を保ちたいと思う。そして、無関心を排し、可能な限りの救援行動を取りたいと思っている。
...それが事態を解決するための力になるように思う。
関連リンク
『他人の行動心理を推測する際の、誤りの話。 - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック』
『大阪で3人の若者にメチャクチャに暴行されて死亡 殴られても殴り返さなかった 無抵抗を選んで殺されたネパール人の無念を思う(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)』
『傍観者効果 - Wikipedia』
『震災後の社会不安に役立つ(?)社会心理学の知見 - とらねこ日誌』
参考文献(表記した心理効果は、総て記載されています。)
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*1:あったのはネットで、です。今も継続中だし、どうも発生の源となった人は、それを明らかに理解したのに、それを明言せずに、新たな理由で対象を叩き、さらにその対象を拡大している。ある意味、非常に不快。内容を明かすこともあるかも知れないが、現時点ではひとまず、どれかは言わない。
*2:私の想定する事件が解決するより、みなさんは身近な身辺の良化に努めて貰う方が、社会がより良くなると思う。
*3:あくまで相手、を、だ。あなた自身が、「他人を安易に理解したつもりになる事に注意。」という話で、「『他人を理解したつもりになっている、別の他人』を批判しているのではない。」ことに注意。あくまで自身の問題として考えて欲しい。そのつもりがないのなら、この文章は読まなくて良いです。
*4:聖書だと基準は神だが、私の主義だと、「量る秤」は「一般的な社会規範」という事になる。さらに言うなら「正義」かな。
*5:私が心を痛めている事件は、そういう事件でした。今回、相手が一個人である事を忘れているかに見られる発言が、多数見られているのも、失望の源。
*6:被害者は死亡し、三人が起訴済み。
*8:多分、逃げることができなかったのだと思うが、逃げることに対して、もう少し被害者周囲も考察すべきだとは思う。ただし、それを強くは望まない。「世の中は公平だという信仰効果」の心理も発生していると思うから。これについては『震災後の社会不安に役立つ(?)社会心理学の知見 - とらねこ日誌』の「公正世界仮説」の項目を参照してください。