タイトルは下記に出した書籍の題名から。私の邦訳では「誰もが完璧ではいられない」にしたい。
...さて、この事に気がついたのは『A Translator Like Croton Leaves | 自殺報道について、朝日が大きな前進。』のブログ*1に、ふと目がいったので。
朝日の記事中に、WHO自殺防止ガイドラインに微妙に抵触しそうな、自殺方法の具体的な方法*2が書かれているのが、ちょっとだけ気になったが、それを除けば、最近も有名人の考察に及ぶようなケース*3もあったので、それに想いが至れば、良いタイミングでの報道だと思う。
■誘発しない報道目指す
朝日新聞では、自殺報道の指針を更新する作業を進めている。改訂を予定している事件報道の記者用手引に盛り込む予定だ。
(一部、略)
新聞は読者に情報を伝える責務を担っており、自殺についても社会的関心の高いケースはある。ただし、報道で自殺者が増えることがあってはいけない。
そのためにも、(1)自殺の詳しい方法は報道しない(2)原因を決めつけず、背景を含めて報道する(3)自殺した人を美化しない――などに注意してきた。連鎖自殺を引き起こしやすい青少年やタレントの自殺の報道については、より注意が必要だろう。自殺を誘発しない報道を目指したい。(記者教育担当部長 岡田力)
http://www.asahi.com/national/update/0728/TKY201107280154.html
記事に引用しなかった部分で、上記ガイドラインに抵触していた部分には、若干、苦笑せざるを得ない*4が、実際にはガイドラインを策定し、運用していく中で、実際の記事に対して考察していけば、報道の在り方以外にも「どうしていけば、自殺を減らしていけるのか*5。」という内容にも思いが至っていくと思う。
例えば、自殺が本来、社会不安*6から引き起こされるならば、そういったものを、どうしたら少なくできるのか、また、社会不安を感じた時、セーフティネットとして運用されている内容を、どうやったら整備し、実効力のあるものにしていける*7か。
...そういった内容を考察していく事によって、自殺発生件数の減少を促進できないか、と思う。
なお、WHO自殺防止ガイドラインを言うと、必ず、反射的に「報道の自由」という言葉が聞かれるが、ガイドラインを守った場合、本当に、その自由を阻害する事になるのか、という点も、考察していきたい。
具体的な手法を報じたり、原因を決めつけたりする事が、本当に「報道の自由」を益する事になるのか、という事だ。私は、そうは思わないが。
まずは、朝日の前進を評価したい。今後の報道に期待する。
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*1:たまに、自分のフォロアーの様子を見たりするので。私は、流石に TL が速くなりすぎるので、全部フォローしたりはしていない。
*2:まあ、本人がインタビューで言及しているので仕方ないとも思えるが、私は守りたかったので引用しません。
*3:ただし、自殺かどうかは報道では疑問符が付いたものもあったので、断定せず。プロ野球選手の事件。
*4:原因を特定しないのなら「いじめ自殺」と呼ぶべきか、とか、具体的な自殺方法の手法がタイトルに冠されている名称で、自殺を呼ぶべきか、等など。
*5:自殺自体はなくせないとは思う。減らしていく、という消極的な対策になってしまうのは仕方ない。社会のストレスが大きい現実があるので。
*7:相談窓口が少数の常連利用者に独占されている問題や、本来の想定利用者層とは別の利用者、例えば単なる愉快犯のような利用者に利用されている問題も、あるように思う。また、電話相談窓口以外にも、街のどこかで気軽にそういった心情相談を受けられたり、メールや電子的な手段でのサポートも、もう少し考察があっても良いと思う。