先日、「癲癇の病気差別」に関して記事を書いた。
個人的な感想で申し訳ないが、病気への差別は、癲癇に限らず存在する、と思っている。
また、これら差別・偏見は、各種の病気が、個人個人によって、実際には病気の内容、進行が全然異なること、そして、病気を意識しての日常生活への配慮・感情なども、個人個人で様々になる事とも無縁ではない、と思う*1。
普段、人間がごく普通にかかる風邪でさえ、非常に多様な症状を見せるのに、他の自分の知らない病気に関して、それが単純な様相を示す、なんてことがあるはずもなく。
また、「持病」と呼ばれるような病気、人が人生において、一生死ぬまで付き合っていくような、息の長い病気が、一言で語りつくせるなんて、できるはずもなく。
そういった内容を、「癲癇は**だ。」という一言で、分かったつもりになり、切って捨てた処から、差別・偏見の芽は育った*2、と思っている。
このシリーズでは、病気のいろいろな面を追うために、一つの病気を、その一エントリーで終わりにする事なく、結構しつこく追う予定でいる。
今日は、記事のシリーズ予定を予告するだけに留めるが。