luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

大きな権威や、大きな主語の陰に隠れて、自己の感情論を他人に被せるのは、止めよう。

計画停電カレンダー


最近、冒頭に載せている、『計画停電カレンダー』にも関係した話なのだが。
日本人、まあ、身近では日本人以外しか知らないので、他の民族でもあるのかも知れないが、日本人で顕著だと思っている行動、について述べる。


http://ameblo.jp/moonsun3/entry-10837863736.html』を読んでいて、感じた、素直な感想。
ここで述べられている、特定の枠に当てはまらないと、日本人じゃない、と対象の人間や、企業を攻撃する態度は、戦中戦前もあった。
最近、過去の戦後時代に比べて、増えて来たようにも思える。傾向については、検証可能な情報がないので、それは保留するし、ここで述べたい内容ではない。


言いたいのは、こういう言動が、例えば「日本」という大きな権威や、大きな集団、そういった言葉を用いる事によって、実は、「自分が望んでいる行為*1を、相手に強制している」に過ぎなかったりするのに、そういう事についての考察がなおざりだったりしないか、という事だ。
日本では、結構、こういうパターナリズムの言動「〜しなければならない。」が目につくが、それは、本当に対象についての考察が正しくなされたものが多くない、と感じる。
何が何でも、権威で、押しつぶしてしまえ、という意見の強制めいたものを、強く感じるのだ。


件のブログで、お店の電燈の明るさ*2に、文句を言う人たちに言いたいのは、大きな権威や、大きな集団の陰に隠れて、まるで個人の意見でないように主張するのではなく、個人の意見として、ちゃんと理論的に内容を説明して、意見を述べてほしい、という事だ。

*1:時には、多数の総意である場合もあるが、相手にも処々の事情があり、少数派だからと言って、その諸事情を考察しなくてもよい、という事にはならない。多数決は、少数の事情を考察して、はじめて正常に機能する採決法になると考えている。

*2:ちなみに、パチンコ店のは異常に明るいので、あれは流石に消した方が良いと思うが、客観的考察に基づいた、ある程度の妥協は必要だと思う。