luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

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権威主義に陥り、優越感に陥る人の確証バイアス

脊髄反射的に、感情的な皮肉を言う人、「自己責任」という言葉を安易に使ったりする人、最近そんな人を立て続けに目撃しているので、そう行った場合の認知心理がどうなっているか、考察してみた。
こういった方々は、大抵、権威主義に染まっている場合が多い。「**先生がこう言ったから」とか、「常識的に考えて」とか、おおよそ懐疑的、論理的とはかけ離れた言説を口にする。何の根拠もなく、過剰な修飾語句を使ってみたりする。
これらの方々は、多分、自分が周りから認められている、と思っているのであろう。もしくは、自分が主張する意見が、他人から認められている、と。
しかし、ギロビッチがいみじくも著作「人間この信じやすきもの」で語ったように、「人は自己の主張が信じられていると勘違いする」生き物である。
また、自己の主張のように世の中が流れていると、確証バイアスと、後認知バイアスで、勘違いする生き物でもある。本人が周囲から、実は辛辣な皮肉と憐れみを以って見つめられていても、多分、本人は気が付いていない。
そして、例えば、あまりに優越感に浸り、あまりに無遠慮で、不遜な意見を吐いたがゆえに、実はそういう意見はスルーされる、という状況に気がつかず、私の意見は正しいがゆえに、劣っている衆愚は黙ってしまった、と勘違いしてみたりする。
そういった場合、わざわざ、そこまで優越感に浸った意見を修正して、その人に利得を与えてあげようなんて思わない。そういう理由からコメントしなかったりもするのだが、自己の確証バイアスに染まると、そこには気がつかなくなるようだ。
そもそも、固定的で変化しない社会の常識なんてものは存在しない。社会は変化し、求められる行動や思考も、日々変化する*1。そこに気がつかないのも、かなり「痛い思考」だと思う。
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*1:それ故に、エビデンスによる証明が常に必要となるのだ。健全な懐疑主義もね。