luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

相手の「相違する意見」について考察する。

少し、出産関係で、訴訟判決、緊急搬送例、成功事例、いろいろな報道があった。また、自分の近くでも、人生の岐路に立った選択で、成功例、また真逆の失敗例、共にあった。...少し思う事あったので、自分の心理的なメモも兼ねて記載しておく。


医療事例に限った事ではないが、人生の岐路となる選択には、いくつかの可能性が存在する。...その中には、選択によって、まったく完全に反対の結果をもたらす内容もある。例えば「成功と挫折」、もしくは「生還と死亡」のように。
しかし、それらの選択は、それぞれ全く反対の結果をもたらす選択肢であっても、選択した段階で、選択者が最善と思い、選択した結果であれば、結果がいずれかに出ても、その瞬間での選択自体は、誰も責めることはできず、それぞれの採らなかった選択肢を、採るべきだ、と非難すべきものではない。
今後、そうするのが望ましい、何らかの対策を採ってほしい、と「希望する」にしてもだ。


時に、人にそれを強要する主張があるとしたら、もし、自分が完全に立場を入れ替えての存在となった時、相手のした決定を、本当に覆す事ができるのか、そして、その主張は理論的に正しい、と主張できるのか、考える事を忘れないでいてほしい。
双方の立場から考え、双方の利得を相互に評価したとしたら、その選択肢は妥当であると言えるだろう。しかし、片一方の側からの評価のみでそれを主張するとしたら、それは自己主張のみの言説に過ぎなくなる。相手の肯定は得られないだろう。


相手に、それを納得させるためには、もしかしたら自分にとっては非論理的*1であるのかもしれないが、相手側の根拠に対して、相手が納得する答えを用意して初めて、それが可能となる。
時に相手は、自己の結論に決して従わないかもしれない。しかし、それは時として仕方のない事だ。相手は「相手」であって、決して「自分自身」ではないのだから。*2

*1:非論理的なら、まだいいが、ヘタをすると理論的に考えて、確率的にも同等で、完全に逆の結果が出るような選択肢も、世の中には普通に存在する。

*2:ただ、論理的ならば、やはりその結論を採って欲しいよね。