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ステレオタイプで、見えなくなる存在。

luckdragon2009(rt多)
‏@rt_luckdragon

@IshiiAkio @kumikokatase その人、この話を理解できないかも。「交通事故で、父親と息子が運ばれてきました。子供を見た外科医は、『これは私の息子』と悲鳴を上げました。」←分かるはずだが、偏見持っていると、この話は理解不能になる。

https://twitter.com/rt_luckdragon/status/781126491794837505

この話自体は「偏見と差別のメカニズム 中川喜代子著 明石書店」などにも見ることが出来ますが、話自体は例え話として、それ以前から話されているようです。
「父親と息子」としたので、息子を子供とせずに、『これは私の息子』と声を挙げた外科医を、何故か年配の存在にしたい人とか居ましたが、それは何故だったのでしょうか。
わざわざ、考え方を不自然にせずとも、外科医は子供の母親です。


何故、外科医が女性だという事に気がつかなかったのか。
人により、色々背景心理はあると思いますが、単純に女性が外科手術している姿をイメージできなかったのかも知れません。ドラマ等でも普通に女性の外科医が出てきていますが、それを発想できなかったとすれば、本人にその発想が無く、映像が出てきていても、実在の外科医としては記憶できなかったのでしょうね。
こういった素朴な偏見と言うのは、確かに存在しているので、相手が、自分が実在していると思う人間の像を発想できない時には、その像を発想できないほどの固定的な偏見を、ステレオタイプ思考として持っている可能性を考えてみてください。