luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

認知不協和を、無造作に濫用し過ぎだって...。

「認知的不協和」ほど都合よく使われている心理学用語はない。

https://twitter.com/ynabe39/status/531466765117579264

いや、本当にそう思います。なんか無造作に濫用し過ぎです。
自己思想に固執する、認知不協和とリバウンド効果。解決は、俯瞰視の客観的施策。 - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック でも取り上げていますが、「信念を変えることが困難な場合、人は"新しい事実"の方を否定しようとします。」という概念ですから...。
該当エントリーで何故、この概念を取り上げたかと言うと、ここで信念を変えずに、余裕の無い人の存在を認めなくても、「本人の生存状態や、苦境の状態に変化は訪れず、本人の危険な状態は到来しない」ですから。
人は信念を変えなくても、特に問題が生じない場合には、わざわざ信念の方を変えたりしません。故に、自分が見ている事実に何らかの問題の原因があるのだろう。余裕の無さ、なんて認知しなくていいや、となる訳です。


しかし、人が必ず信念を変えないか、というと、そうでは無いでしょう。人が意志を変える時、自分の認識していた事実を違うと思う時、自分が支持していた何らかのものに対して、支持を取り下げる場合はあります。
それに対して、あまりに酷い実像に気がつくか、その事実が自己の生命に危機を及ぼすようなときです。
そういう時には「認知不協和」なんて効きません。人は事実を認め、信念の方を変更します。


とても便利な概念で、無謬化しやすいので、濫用しがちになる気持ちは分かります*1が、常に成立するような概念ではないので、不適切な場合に使うのは止めた方が良いと思いますよ。
要は「別の概念でも説明できる時にまで、認知不協和を使わない方が良い」という事です。

*1:この概念を使うと、対象層を愚かに見せる効果もあるので、そういう意味で濫用しちゃう人もいますね。戒めたいものです。