luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

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人への迷惑、というのは程度問題。

社会的な話になるけれど、時に演説調で「〜は社会の迷惑である」と言った時に、たまに違和感を覚えるときがある。社会、つまり人への迷惑と言うのは、絶対的な悪、という訳でもない。
というのには、社会の構成要員たる皆様も、社会にまったく迷惑を及ぼさないか、というと、そうではないと考えるからである。そもそも、人間と言う「社会生活を、種の強み、としている生物種」にとって、互いに社会として支え合っている以上*1、全能なる人間は居ないので、どこか不足している面で、何らかの迷惑は生じてしまうのが常だと思う。
その際に考えうるのが、相互に迷惑を掛け合っている以上、それを絶対的に排除すべき、と考えるのではなく、その迷惑の程度が、それぞれのケースに於いて、許容されうるのかどうか、それを考えるのが大事な事だと思う。


つまり、人への迷惑を考える上で、大事なのは「程度問題」。それが、どの程度の迷惑なのか、それを考えるのは大事です。

*1:参考 弱者を抹殺する。不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂けれ... - Yahoo!知恵袋 より「高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する 個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる"弱者"です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略」 ちなみに、ベストアンサー、全文読むべき。