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職場で、自己の偏見語りが固着していく機構。そして、それが何故、歓迎されないのか。

自己の偏見語りは社会に拡散させずに、自室に留めてくれないかね。 - luckdragon2009 - 日々のスケッチブック の続きです。
実際には、人事や上位の管理職が指摘しても、なかなか止まらない「自己の偏見語り」は、特定の職場に於いては蔓延している感があります。
元々、職場には論理的思考を妨害する「対象者の人事権を本人が握っているから、論理的に間違っていても、それを盾に、相手の行動を変化させてしまう」という大きな問題があります。
そのため、論理的な思索を可能にするためには、その部分で「論理的に批判された場合には、そういった相手を人事的に葬らない」という約束事を、それより上位の管理職によって確立する必要があります。それがない限りに於いては、「自己の偏見語り」の管理職が自らの色眼鏡を組織に蔓延させてしまう懸念が、常につきまといます。


「自己の偏見語り」が固着する機構については、例えば自己の好みに合わない思考は、例え有能であっても酷評価とする場合を考えてみましょう。
この場合、無期雇用契約のような基本的に無期限の場合には、汚名を返上し、名誉挽回に至る道も考えられなくもないが、有期雇用契約、特に短期契約を余儀なくされている場合は、非常に挽回が難しいものと考えられます。
何故なら、その短期間に相手の望む結果という、一般的ではない特殊解を見つける必要があるからです。そのような特殊な条件で、かつ、優秀な結果を成立させるのは非常に困難です。
その結果、評価が振るわない場合には、つまり、その偏見語りの人の眼鏡に叶わないような人は、早々にその人に見切りをつけ、適当な平凡な評価程度に至る程度で努力を止めることになります。この結果として、その人の好ましいと思わないタイプの人は、優秀な結果を納めない事になり、「偏見語りの人の予言」が、常に成就するというパターンが形成されます。「自己の偏見語り」の人の予言が実現する機構の完成です。
一般的な能力を持つ人材であれば、そんな特殊な偏見の前提以外でも、能力を発揮してもらいたいのは、本来の組織の願望です。特に、短期間の契約であれば、尚更能力を発揮してもらうのが、本当は望みのはずなのです。それを忘れて、人材を疲弊させる効果を持つ、こういった本来管理職に不向きの方々は、実は歓迎されてはいません*1。ただ、管理上でうまく管理されていない組織の過程で、存在してしまう事はあり、上位管理職にとっての悩みの種だったりします。

*1:本人は、酷いドヤ顔の管理してたりしますけどね...。