luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

どのくらい、自分が当事者となるイメージを持てるか。認知症に関するシンポジウムに参加して。

こちらのシンポジウムに、後半、出席しました。→ http://www.publicpress.jp/2013/07/08/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87%E3%81%AB%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E3%82%92%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86-npo%E6%B3%95%E4%BA%BA%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E9%81%8B%E5%8B%95%E8%A8%AD%E7%AB%8B%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D7-26%E9%96%8B%E5%82%AC/
現地に行って気がついたのですが、参加者は思ったより多くは無かったです。こういった法人の設立シンポジウムに参加するのはあまり無いのですが、最初はこんな感じなのかな?
設立という事で、今後が大変かと思いますし、まだ、これからなので、法人について多くは語りません。ただ、表現されている「認知症が社会に当たり前に居る社会の実現」に関しては、多分、今思いつくのは、二つの障害があると思うので、それを今日は書いておく。


ひとつは個人の考察の問題。
自分が元気なときに、自分が認知症になった具体的なイメージを持てるか、そして、それについて真剣に考えることが出来るか。
多くの人は、将来に大きな問題が発生しえる事態があった時に、それを本当に考えることをしません。
例えば老齢の事だったり。また、究極的に言えば、自分がいつかは死ぬ、という事に対しても、なかなか考えないですよね。何か事故にあって障害を持ったり、病気したり、という深刻な状態が自分にも起こりえる、とはなかなか考えないです。
そこについて、どれだけ嫌にならずに考える下地を作れるか、そこが重要だと思います。この点は、法人の活動要旨にも含まれているようですね。


もうひとつは、社会と企業と政治の問題。
そのどれも、なかなか悲観的な内容について、糾弾したり、他人の問題として考えることはあっても、そこに自ら参加して問題解決していく、という行動を起こすのが難しい。行動を起こす人、社会、企業、政治家が居ても、それが多数派になかなかならない。
企業も社員が高齢になると、社員として共に活動する、というよりは、切り捨てる事を考えている事が多いですし。
そこの部分も、改善*1されないと、なかなか認知症に対する、社会の態度は変わっていかない、と思いました。


今日は、時間も無く、かなり粗い文章ですが、そんな事を綴っておきます。

関連リンク
NPO法人パブリックプレス – 自分の人生の主人公として生きられる社会を

*1:企業に改善するように、何かしらの希求ポイントを設定する必要がある。