luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

今のままでは、同じ事は繰り返されるであろう。マスコミの論文紹介と、利益相反に対する考察。

読売新聞らは被害者だったのか? - 楽園はこちら側』の記事を、昨日読んでいた。
いつもの如しで、平日は忙しいので、コメントは短文で。


...まずは、タイトルについて。
読売新聞は、著者に妙なレッテルを貼りたいようで「簡易論文」なる用語を造語し、ポスター発表についても変な記事を書いています。
学会の各発表については、運営者が「できるだけ発表者に制限を加えずに自由な論文発表の場であって欲しい。」「また、良き議論の場であって欲しい。」というような、学会各自の思いを元に運営を模索*1しているのであり、その運営や、学者の論文形式*2について、変なレッテルやら、揶揄やらをすべきではないだろう。
この内容については『読売新聞の検証が、誤爆模様(研究の評価は形式じゃなく、中身) - Togetter』で取り上げたが、研究自体は内容や、それに伴う引用、議論で評価されるのであり、「手早く形式で評価できるもの」ではない。
ここら辺の姿勢には、「安易な理解で解決しようとする姿勢」を感じてしまう。何のための「検証作業」なんですか? と。
その意味で「被害者意識」については、はっきりと「否」と申し上げたい。
マスコミに求められているものというのは、各種専門知識を分かり易く大衆に流布する役割である。その中では、情報を正しく噛み砕く能力ははっきり求められているのであり、それが不足しているとか、裏取り検証が不足していた、というのは、自己の能力不足が露呈したに過ぎない。...自己の努力不足を棚に上げ、私たちはただ、騙されただけなんです、という主張を続けるのであれば、残念ながら事態は変わらず、同じ過ちは繰り返されるであろう。


...少し、長くなった。記事の下記の部分について、手短に述べておきたい。

研究者が自身のアピールのためにメディアを活用し、メディアは原著論文を読む能力の欠如を研究者のエゴにより補填されている。このような共犯関係は、いわば利益相反に抵触する。

研究者の「アピールだから」当然、業績は誇大広告になる。論文であれば、業績は精緻な議論と制限が加わるが、科学者自身は「偉大な業績」とアピールし、その臨床応用もすぐ近い、、的に言ってしまいがちだ。だから、日本の医学記事ではマウスの実験レベルで「なんとか病の新治療に期待」みたいな記事を作るのだ。

http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2012/10/%E8%AA%AD%E5%A3%B2%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%82%89%E3%81%AF%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B.html

研究者が自己アピールの利益相反に無頓着になるのは研究者の責任*3であるが、その姿勢への検証は、当然ながら記事を書く記者の仕事になる。
その自己の職責を忘れて、その努力を怠る*4のであれば、研究者のアピールによる確証バイアスの思考に引きずられ、まるで贔屓の選手を応援するかのような記事になるのは当たり前であろう。
読売新聞に対して言えば、その姿勢は、例えて言うのであれば「自己との資本関係が強い、某球団の選手に対するような姿勢ではなく、その勝利に脅威をもたらすような選手へ分析、のような鋭い検証姿勢」を求めたい。...であれば、大きな誤報となる記事は減るであろう。
しかし、そういう裏取り、記事の検証の努力を忘れ、情報提供者に寄り添うような姿勢を続ければ、同じことは繰り返されると思います。

関連リンク
読売新聞らは被害者だったのか? - 楽園はこちら側
読売新聞の検証が、誤爆模様(研究の評価は形式じゃなく、中身) - Togetter

関連リンク(学術論文)
論文の種類
学術論文 - Wikipedia
CiNii Articles - 日本の論文をさがす - 国立情報学研究所
http://scholar.google.co.jp/

*1:そのための各種発表形式やルール、そして査読など諸々の運営作業。

*2:形式については、学者解説があると思うので、各解説を見られたし。ネットという便利なものがあるお陰で、公開された批評を読むことが出来るのは、非常に良い時代であろう。

*3:この点、利益相反情報にわざわざ記事中で言及する記者もいるので、意識している記者もいる。問題なのはここに記者も無頓着になることである。

*4:元々、論文読解能力の不足を本人に補完してもらう危険があるので、本当は立場の異なる、同じ利益の立場に立たない専門家に確認するのが、能力不足を認識しているのなら、本来の姿勢だと思う。例えば若手の研究者、とか。コネがある実力派の研究者、とか。