luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

自分が当事者として関わることで、現実感の遊離をなくしたい。

昨日作った『現地のがれき処理の「現実」を知る - Togetter』の反響、すごかったです。
janetter 2 使っているんですけど、"@rt_luckdragon" のウィンドウが200件以上になりました。
...まあ、今見ると、215 fav なので、そのくらいは行きますね。
実際、過激な反対意見自体は、各地の説明集会(神奈川県等)や、島田市の説明会でも目撃されているが、現地の窮状をどの程度認識されているか、疑問に思っている。
もしかしたら、認識された上で、異様な反対論*1を政治活動として展開されているのかもしれませんが、その意味する事、つまり現地の生活を犠牲にしての活動だとすると、その活動の「存在意義」を疑いたくなってしまう。
政治活動は、生活を支えるものと理解している。そういった生活を犠牲にしての主張に、意義を与えたいとは思わない。
東日本大震災は、非常に大きな地震であり、被害は広域に及んだはずである。その復興活動は、故に、非常に大きなものになるはずだと思う。


あの時、世界中が、日本の震災に心を痛め、また、それぞれに支援の手を寄せてくれた。
日本の各地からも、同様に、手を差し伸べた。いつか慣れて、現地の窮状を忘れ去ったかも知れないが、まだまだ課題は多く、復興も長い道程の途中に過ぎない。


...今、私の懸念は、震災の政治的利用です。
多分、過激な政治活動などは、現地の生活の香りや、自分の見える範囲にないものを忘れがちな、「当事者感覚の喪失」も、一因にあるはず。
元々、政治活動は「生活を充足させるために行われている事」ということを忘れないためにも、当事者の視点*2が、失われがちとなる「これから」が、復興の試練になるのではないかと感じている。
「当事者感覚の喪失」や、「現場状況の無視」、そういう事が酷くならないように、と思う。
...私の懸念が、懸念に終わるのであれば、それに越したことはない。


最後に、『「ぼくの見た町ぼくの想う町」(PDF)』を紹介しておく。
なかなか、良い文章だった。ぜひ、読んでみて。

関連リンク
現地のがれき処理の「現実」を知る - Togetter
「ぼくの見た町ぼくの想う町」(PDF)

(一番最後の文)
『ぼくが大人になったとき、ぼくの見た町がどんなふうになっているか、とても楽しみです。』

http://info.yomiuri.co.jp/event/2011/12/21/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%AE%E8%A6%8B%E3%81%9F%E7%94%BA%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%AE%E6%83%B3%E3%81%86%E7%94%BA.pdf

*1:...としか思えない。根拠が意味不明な内容が多い。

*2:無論、俯瞰視野は大切で、その意味では「当事者視点」をあえて外す、という事も必要だが、それは「当事者視点」を得た後に、初めて必要となること。