http://akiaki.info/akiyama/tDiary/?date=20100625
でも「月に行けたら良いではないか」という議論もおこるかもしれない。しかし考えてみて欲しい。月はそもそも40年も前にアメリカが人を送り込んだ天体であり、そして今、まさに中国・インドは人を送り込もうとしている天体である。そこで日本が中途半端に「無人月面基地」をつくって無邪気に喜んで何か意味があるのか?そこを吟味すべきである。
http://akiaki.info/akiyama/tDiary/?date=20100625
またこの検討には「月」と「それ以外」の比較が全く乗ってきていない。昨今、日本中が喚起した小天体探査機「はやぶさ」は、「他国の追随を許さない日本だけが保有している」技術であり、またその技術は次のミッションが決まらないとどんどんと四散していき、優位性が保てなくなる状況にある。
日本独自の優位性を目指すのであれば、はやぶさ2というか、日本独自の技術の追求を目指すべきだと思います。
でも、こういった科学者の冷静な懐疑論は、人々の思考の中に、そして政治の中に分け入っていかないものなのでしょうか?
その点に、現在の「政治と、政治への大衆の参加へ」の懸念を感じます。
【追記】
月に行くのは、より道・遠回り・行き止まり: マツドサイエンティスト・研究日誌
行政/政治の掲示情報への、理解の労力必要性など、コメント欄も含めての冷静な考察あり。*1 *2 *3
【追記 2】
http://akiaki.info/akiyama/tDiary/?date=20100630
「はやぶさ」は工学試験衛星です。それはその後、その『工学技術』をきちんと使ってこそ意味があるミッションです、地球に帰ってきたことよりも、カプセルにサンプルが入っていることよりも何よりも、『工学試験』を通じて得られた技術・ノウハウをきちんと活用してこそ、初めてミッションは成功と言えるのではないか?そんな風に思います。