luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

正義は自らの愚行を見えなくさせる。心せよ。

基本的には当たり前の前提故に、あまり言及されないが、それが故か、結構忘れられがちな原則。...ちなみに、映画やテレビ番組で描かれるような正義の味方には、あまり意識されていない印象*1


正義の名目を冠される行為は、多数だが、本当にそれに値する事を熟考されている行為となると少なく、さらにそれが照明されている行為となると、もっと少なくなるだろう。
一番困るのは、行為自体の遵法性をちゃんと熟考したものが少ない事。自分だけのルールを元に、対象者に苦痛を強いていたり、嫌がらせをしてみたり。下手をすれば、違法行為、不法行為をしているのに、私は正義の行為をしている、と明らかに間違った認識に染まっていたりする。
正義の行為を行っていると自称する相手をよくよく観察すると、その陶酔感に酔って、自分の行為が正当な行為かを熟考していない事が非常に多く見受けられる。多分に、正義の意識は自らの愚行を、隠蔽し、粉飾してしまう。


行為を成す際には、相手にとっての視点や、社会的な視点や、俯瞰的な視点に立った時に、本当に正しい行為と考え得るのかを考察する事がとても重要である。


自分の視点でしか正義ではない者は、正義ではない。それは愚行である。

*1:ガメラのイリスあたりでの、ガメラの戦いに巻き込まれた家族とか、戦場での友軍誤射とか。描写は少なめ。

余裕の無い人は、声をあげない。

色々な状況があると思うが。
貧困の中で、誰にも「助けて」と言えずに、また、勿論、生活保護の申請にこぎつけられずに、餓死してしまった人は、起きた後の現場検分で、起きたこと自体は分かっても、本人の苦悩や、伝えたかった想いの声は、結局は発せられないままになる。...つまりは、声は上げられないままになる。
支援者も、困窮者の総ての思いをすくい上げる事は難しいだろう。


世の中の多くの場面で、本当に困難に直面している人は、世の中に自分の困った状況を伝える余裕は無い。それが引き起こした結果が発生するだけだ。
だから、起きた事例のみを見て、安易に「〜だろう」と推測してしまう事は止めておきたい。
本当に起きた事は、本人しかわからない。そして、語られれなければ、その情報は失われている。過去に於いて既に。