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内心の自由はあるが、公的には危険な思想。

実際、危険な兆候を感じるので、法務分野の一員として、一言。


『聲の形』はいじめっこ向け感動ポルノなのか より。

山本弘 @hirorin0015
あのさあ、いじめ被害者だった一人として言わせてもらうと、加害者側から被害者側に転落し、自分のやったことを悔いている主人公を「許さない!」「救済されてはいけない!」と主張するのは、すごく危ない思想だと思うぞ。

山本弘 @hirorin0015
たとえて言うなら、犯罪の前歴があるけど更生した人間を「許すな!」と言ってるわけで、逆に差別だろそれ。

http://togetter.com/li/1027520


個人的な内心の自由というものはあるし、個人的な意見としての吐露なら構わないと思う。ただし、それにも限界はあって、思想としてそれが強い志向を持つものになるのは、非常に危険な思想であると考える。
実際、刑法の分野では、犯罪加害者が前歴がある事で社会復帰後の更生が妨げられると、本人の正常な社会生活が営めないので、再度犯罪者の社会*1に舞い戻ってしまう問題が指摘されている。
基本的には、犯罪の前科は、公的にはかなり守秘が守られる情報ではあるが、報道などで公知された情報までは削除されるわけではないし、その情報を基に、本人への評価を変えないで居たら、本人の社会復帰は永遠に行われない。


同様の事が、いじめの加害者にも言えて。実際の現実問題としては、被害者の内心とは別に、いつかどこかで、加害者が救済されないと、問題はいつまでも終息しない。被害者としては、終息しなくても良い、と考えるかもしれないが、犯罪の場合と同じで、永遠に終息しないとしたら、加害者が贖罪しても意味が無い事になる*2
結果として、永遠に許さない、というのは危険思想であるという事は言える。何を行っても許さないのは、行為者にとってもは評価の変化が起きないという事だから、行動の変化も起きない。つまり、加害者が何らかの贖罪を行おうとする意欲を想起しない事になる。
それは十二分に危険思想ですよ。


後、永遠に許さないというのも、被害者の心を蝕むと思う。実際、加害者が永遠に苦しむ事を望む心が、健全であり続ける保証、ありますか? それは十二分に加害的であると思う。

*1:そこしか受け入れる社会が無いので。

*2:続罪しても、公的に永遠に許されないのだったら、贖罪の行為に何か意味はあるか?