luckdragon2009 - 日々のスケッチブック(Archives)

luckdragon2009 - 日々のスケッチブック [過去記事]

マスコミっていう存在は、別に昔からあった訳じゃない。

昔は羽織ゴロって呼ばれていた時代もあった気がする。
もちろん紳士的な人が大部分なんだろうけど、どこでもありがちな話として、別にずっと同じ状況が続くわけではないのが当たり前という事で。心理としては、認めたくない確証バイアスが発生しているのかな。
でも見るところ、この本のタイトル、2011年ほど最近ではなくても、たぶん、近い将来マスコミという存在の大変革はくると思う。

少し前に書いた無灯火自転車にも関係するんだけど、たとえば、無灯火の人とか、傘を差しているとか、あと諸々の危険運転って、各々の要素だけが危険、という訳じゃなくて、それが組み合わさって危ない、という話ですよね。
無灯火でも、のろのろ運転だったら危なくないかもしれない(勿論、有灯火よりは危ないが)。
でも、マスコミは、その存在の定義上、なかなか一要素、単純化でしか物事を示せない。マスな要素を対象にしている故に。
それは実体とはちがうんですよ。そこがなかなか表せない故に、自身の衰退をまねくのではないかと思う。

人間は群体の社会での存在だということです。そういう意味で、変革がくるという予感が。それを感じた一冊でした。

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ちなみに、以前、こういう本も出ていましたね。
共食いを恐れる故に、自己変革ができない、という内容でしたけど。これもお勧めだけど、もう既読の人多いかな。
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